平成7(1995)年九州場所に対戦した寺尾と対戦した貴乃花は、相手の突っ張りをはね上げて簡単に寄り倒した。寺尾は「もう横綱(貴乃花)には勝てない。親同士では無理だから、俺の子供と横綱の子供を対決させて勝たせるよ(笑)」と、次代に期待を託した。残念ながら、貴乃花の長男も、寺尾の長男も角界入りはしなかったが・・・。
平成8年秋場所7日目には、翌日の貴乃花戦のことを聞かれた北勝鬨は「あしたはとにかくしぶとくいきたい。どのくらい? まあ15秒ぐらいかな(笑)」と、勝利より善戦を目指すような発言。両力士が激突した8日目の取組は、貴乃花が右四つから寄り立て、土俵際、北勝鬨の右下手投げがすっぽ抜けるところを押し出し、対北勝鬨戦は13連勝となった。
北勝鬨は「あの横綱に勝つのは難しいと言うより無理(笑)。俺じゃ役者不足だよ(笑)」と完全にお手上げ状態。しかし北勝鬨のすごい(?)ところは、この日の貴乃花戦の公式タイムがジャスト15秒。見事に前日の公約を守った。
全盛期の貴乃花は決して饒舌ではなかったものの、質問にはしっかりと答え、横綱の貫禄十分だった。
相撲のうまさは群を抜いていた若乃花
そんな貴乃花だが、平成10(1998)年に入ると快進撃に急ブレーキがかかった。肝機能障害で初場所、春場所と連続で途中休場した。
その間、土俵の主役を務めたのは兄の若乃花。10年春場所、夏場所で連続優勝を果たし、見事に横綱の座を射止めた。若乃花は、同時代の貴乃花、曙、武蔵丸、貴ノ浪のように体には恵まれなかったが、相撲のうまさは群を抜いていた。栃錦、栃ノ海とともに戦後3大技能派横綱と称賛する関係者も多かった。
若乃花と朝青龍の両方と対戦経験のある力士は、若乃花のほうが強かったと口をそろえる。それほど若貴時代はレベルが高かった。