妥協しない相撲が衰えを早めた
賜杯争いは渦中の若貴が2敗で千秋楽を迎え、2度目の2人による決定戦への期待が高まった。しかし若乃花は武蔵丸に寄り切られ3敗。貴乃花は危なげなく曙を寄り切って大台となる20回目の優勝をあっさりと決めてしまった。
平成7年九州場所の若貴による決定戦以上の熱戦が期待できると思っていた多くのファンは肩透かしにあってしまった。
二子山部屋で行われた優勝祝賀会では、貴乃花だけが笑顔を浮かべていたが、親方、おかみさん、若乃花には一切笑みのない珍しい光景が見られた。
若貴とも決して妥協しない目いっぱいの相撲を取り続けたため、“筋肉疲労”もあり衰えは早かった。若乃花は平成12(2000)年春場所に引退。まだ29歳の若さだった。
貴乃花は平成13(2001)年夏場所14日目に右膝半月板損傷の大けがを負いながら、翌千秋楽には優勝決定戦で武蔵丸を上手投げで下して22回目の奇跡の優勝。総理大臣杯を渡す小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と絶叫したのは、あまりにも有名な場面だ。