最大で体重差180kgもあった小錦と舞の海の対戦はいつも観客を沸かせた

大相撲初場所が1月8日に初日を迎える。大関以上は東横綱照ノ富士、西大関貴景勝のみ。1横綱1大関となるのは明治31(1898)年1月の春場所以来、125年ぶりのことだという。やや寂しさを禁じ得ない番付だが、それは本連載でも触れた相撲界の「人材枯渇」の一側面かもしれない。今から約30年前には、若花田(のちの横綱若乃花)と貴花田(のちの横綱貴乃花)が人気となる「若貴時代」があった。多士済々だった当時の大相撲ブームではどんな力士が土俵を沸かせたのか、シリーズで紹介していく。

(長山 聡:大相撲ジャーナル編集長)

サイエンスが好きな科目だった武蔵丸

 戦後最高とまで言われた相撲ブームを巻き起こした若貴時代。当然のことながら名バイプレーヤー(脇役)がそろわなければ、あれほど列島を熱くすることはなかった。

 特に曙、武蔵丸(現武蔵川)、小錦のハワイトリオの存在感は抜きん出ていた。全盛期は曙(204cm、235kg)、武蔵丸(190cm、237kg)、小錦(187cm、284kg)と、それぞれ超巨体の持ち主。先輩の小錦は千代の富士時代から土俵を盛り上げていたが、曙、武蔵丸は若貴のライバルとして覇を競い合っていた。

 当時、若貴の発言は事細かに報じられたが、ハワイトリオはあくまでもその盛り上げ役的な扱いだった。しかし、3人とも陽気なハワイアンだけに、あまり報道されていないものの面白い話題は多かった。

 曙、小錦は日本語のマスターがかなり早かったが、武蔵丸にはなかなか細かいニュアンスが伝わりにくい面があった。学生時代の好きな科目を聞いたところ「サイエンス(科学)かな。英語は苦手だった」と話していたので、語学があまり得意ではないのかもしれない。逆にそこがとぼけたような感じとなり、話の土俵を盛り上げていた。