テレビ視聴率、午後5時以降は連日30%超え

 長い歴史を誇る大相撲界だが、デビューから貴乃花ほどマスコミに注目された力士は存在しない。当初は“若貴ブーム”ともてはやされたが、その中心は貴乃花(当時貴花田)だった。

 場所が始まると各スポーツ紙は1面から3面まで相撲の記事で埋め尽くされた。テレビの視聴率も午後5時以降は連日30%を超え、平成5(1993)年名古屋場所千秋楽の若貴、曙による優勝決定巴戦では、瞬間視聴率66.7%を記録した。

 平成4(1992)年に読売新聞社が実施した全国世論調査の中で「見るのが好きなスポーツ」では、何と66%の人の支持を受け、大相撲が1位となっている。同調査では5年から好きなスポーツ選手のベスト10ランキングも発表しているが、平成5年度の1位は貴ノ花(のち貴乃花)、2位若花田(のち若乃花)だった。

 その期待に応えるかのように貴乃花は不当な見送りのあった横綱以外は、全て史上最年少での昇進と、番付を一気に駆け上がった。

「13場所連続優勝も可能だった」との声も

 平成4年初場所には19歳5カ月の史上最年少で初優勝を果たした。兄・若乃花とも仲良く助け合う姿が好感を呼び、厳しくも愛情たっぷりの両親(元大関貴ノ花、憲子夫人)とともに“理想の家族”とまで称えられた。

 当時の貴乃花は極端に口数が少なく、敗戦後は基本的に「弱いから負けるんです」としか話さなかった。

 そんな貴乃花の最盛期と言われるのが平成6(1994)年秋場所から平成8年秋場所までの13場所。千秋楽を迎えた時点では、貴乃花の優勝が決まっているか、優勝争いのトップだった。優勝を逃したのは、同部屋決戦で若乃花、貴ノ浪に敗退した場所と、1敗同士の相星決戦で曙に敗れたわずか3場所のみ。「13場所連続優勝も可能だったのでは」と指摘する声もあり、相撲内容も抜群だったこともあって史上最強という関係者も多い。