複眼的視点でウクライナ戦争を捉える必要

 バイデンは、「民主主義vs権威主義」という図式でウクライナ戦争を捉えているが、共和党保守派は、歴史を踏まえて、もっと複眼的な観察をしている。私は若い頃、アメリカのバプテスト系の幾つかの大学で授業をする機会を得たが、信仰心の篤いスタッフや学生に囲まれて快適であった。今でも、それらの大学とは様々な関係を保っているが、そこを拠点とする保守を代表するような論客の言論は私の予想に反していた。

 今回のウクライナ戦争については、彼らは、プーチンを悪魔と見なしたり、ウクライナ戦争を「民主主義のための戦い」とは見なしたりはしていない。そういうイデオロギー的な対立軸ではなく、ウクライナの名の下にアメリカが戦争を行っているのだという冷めた現実的な認識である。

 彼らの議論の大筋は、私がこのJBpressの連載「舛添直言」で指摘してきた視点と同じである。

 具体的には、まずはNATO東方不拡大の約束とそれを守らなかったアメリカに問題の根源があることを指摘する。ロシアにとって、ウクライナは、たとえばハンガリーやルーマニアとは全く違う意味を持つ兄弟国である。言葉も文化も近い。その国が敵の軍事同盟であるNATOに加盟することは看過しがたいとプーチンが考えるのは当然である。

 また、アメリカがブダペスト覚書を履行する熱意を欠いており、それが2014年のロシアによるクリミア併合につながったことにも注意を払う。また、ソ連邦崩壊後のウクライナでは、ロシアと同じようにオリガルヒが跋扈し、政治腐敗が拡大したことなど、ウクライナの問題点の指摘も忘れない。さらには、ミンスク合意の不履行はロシアのみならずウクライナ側にもあることにも公平に言及する。