(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)
11月6日からエジプトの保養地シャルム・エル・シェイクで、国連のCOP27(気候変動枠組条約締約国会議)が始まった。昨年(2021年)のCOP26は「石炭火力の禁止」をめぐる論争で盛り上がったが、今年はほとんど話題にもならない。
その代わり話題になったのが、「エコテロリスト」の破壊活動である。これまでは街頭で死んだふりをする程度だったが、今年は道路を閉鎖したり、ゴッホの絵にスープをかけたりしてニュースになった。これは典型的な左翼運動の末期症状である。
看板をかけかえて生き延びてきた社会主義
これについてマルクス経済学者の斎藤幸平氏は「ゴッホの絵を汚した行動を理解しろ」と書いて批判を浴びた。
彼は「(エコテロリストは)すでにデモも、署名も、政治家への嘆願も、何年間も地道に行ってきた」が、世間が無関心だからテロに及んだのだという。そんな論理が通るなら、統一教会について嘆願を地道に行っても聞いてもらえなかったら、元首相を殺害してもいいということになる。
日本でもかつて極左が破壊活動を行い、多くの死傷者を出した。そういう行動を支持する人は少ないため、彼らはますます少数派になり、注目を集めようとますます極端な暴力行為に発展する・・・という悪循環で、連合赤軍や中核派や革マル派のように自滅した。
マルクスの時代から、左翼の運動は基本的に同じである。社会に不満をもつ大衆のルサンチマン(怨恨)を「反**」というイデオロギーで暴力集団に組織することだ。19世紀にはこの**の部分には資本主義が入ったが、社会主義革命は悲惨な結果を招き、20世紀後半の先進国では暴力革命はなくなった。
日本でも1960年の安保闘争は、社会主義革命ではなく反米運動だった。1968年ごろの大学紛争は、ベトナム反戦運動だった。どちらも若者のルサンチマンに「反**」というスローガンをつけただけだった。
しかし当時の日本経済は絶好調で、若者の就職も順調だったので、ルサンチマンもなくなった。このため彼らを組織するイデオロギーもなくなり、1970年代以降は、「反公害」や「反差別」などと看板を掛け替えて生き延びた。