「大粛清」を行ったスターリンの皮肉な最期
そんな雷帝イヴァン4世を崇拝して映画製作まで命じたのが、20世紀ロシアで強権を振るったヨシフ・スターリンである。
スターリンは「五カ年計画」と呼ばれる計画経済政策を推進。農業集団化を強引に推し進めた。農民たちが反発すると、政治警察を使って次々と逮捕して、強制収容所にぶちこんだ。その後、銃殺される者も後を絶たなかった。
ターゲットは、農民だけではない。スターリンは政権に批判的な人間はすべて「人民の敵」とみなして、次々と粛正している。時には密告を促してまで「人民の敵」をあぶりだした。10日以内に取り調べを終えて、判決後10分以内に処刑されることさえあったという。恐るべきことに、スターリン治世の期間に2000万人が虐殺されたともいわれている。
何があってもスターリンに歯向かってはいけない──。そんな体制を作り出しながらも、晩年のスターリンは常に暗殺に怯えていた。食べ物はすべて毒見させ、医者の薬さえ飲まなかったという。
そんな独裁者の最期は意外なかたちで訪れる。1953年、スターリンはモスクワ郊外の別宅で突如倒れてしまう。脳卒中である。しかし、スターリンの許可なく、居室に入ることは固く禁じられている。様子がおかしいと思いながらも、側近たちはなかなか入室することができなかった。
思い切って護衛兵が入室したとき、ようやく床に倒れたスターリンが発見される。だが、すぐに医師を呼ぶことはできなかった。なぜならば、彼には医師を呼ぶ権限が与えられていなかったからだ。いかなる場合でもスターリンの命令は絶対である。護衛兵は、事態を報告して判断を仰ぐために、秘密警察の上司を探し回ったという。
ようやく呼ばれた医者がスターリンのもとに到着したときには、倒れてからすでに10時間から12時間が経っており、助かる余地はなかった。皮肉にも自分を守るためにつくった完璧すぎる秩序によって、スターリンは命を落とすことになったのである。
膨大な国民の命を奪ったスターリンだが、欧米や日本のように「極悪非道な独裁者」というイメージが自国民には薄い。それどころか、プーチン政権下の20年間で、スターリンはロシアで「強き指導者」として再評価されてきている。
だが、今回紹介した独裁者の末路をみても、晩年は好き放題に振る舞った豪快さとは無縁で、孤独で罪悪感と不信感に苛まれるばかりだ。そうでなくても、悲惨な最期を迎えている。
さて、他国から孤立が進むなか、プーチン大統領の独裁政権はどんな結末を迎えるのか。ウクライナ侵攻後、プーチン氏に対する暗殺計画があり、疑心暗鬼になっているという情報もあるが、「強いリーダー」を望むロシア国民にいつまで権勢を振るい続けることができるのか。引き続き注視していきたい。
【参考文献】
芝健介『ヒトラー 虚像の独裁者』(岩波新書)
高橋進『ムッソリーニ:帝国を夢みた政治家(世界史リブレット人)』(山川出版社)
中嶋毅『スターリン:超大国ソ連の独裁者(世界史リブレット人)』(山川出版社)