「雷帝」イヴァン4世はチェス中に静かな死を迎えた

 なかには穏やかな死を迎えた独裁者もいるが、その分、後悔に満ちた晩年を送った。

 イヴァン4世は、16世紀にロシア史上初めて「大公」としてではなく、君主の称号である「ツァーリ」として公式に戴冠。専制君主として恐怖政治を行い「雷帝」と恐れられた。

イヴァン4世(画像:GRANGER.com/アフロ)

 どうも一番目の王妃を亡くした孤独感から精神のバランスを崩してしまったらしい。秘密警察「オプリーチニキ」(直轄領オプリーチニナを治めるために集められたツァーリだけに忠実な親衛隊)を率いたイヴァン4世は、裏切り者と見るや、片っ端から処刑。何千人もの貴族の命を奪った。

 1570年にはイヴァン4世が「貿易で栄えた町は、外国と戦争を始めた自分のことを恨んでいるんではないか?」と思い込み、ノヴゴロドという街そのものを虐殺の対象とした。

 オプリーチニキに次々と住民を逮捕させると、拷問にかけて殺害。鞭で打ち、舌を切り、鼻をそぎ、手足をもぎとり、陰部を切り取るなどしたというから、常軌を逸している。このときは1カ月にわたる虐殺により、約6万人が命を失うこととなった。

 これだけ非道なことを行いながらも、晩年のイヴァン4世は自分が行った虐殺の数々を文書として整理。数字を記録しながら、死者の冥福を祈っている。暴政の限りを尽くした結果、自分の息子をも誤って殺してしまったことで、罪の意識に苛まれたらしい。

 1584年に迎えた人生最後の日には、イヴァン4世は3時間ほど入浴したのち、少しの仮眠をとった。その後、チェスをしようとすると、駒が手からすり抜けていき、そのまま静かに息をひきとっている。