対独戦勝77周年軍事パレードを見るプーチン大統領(5月9日、写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 5月9日、ロシアの戦勝記念日は、お通夜のような軍事パレードと、内容と精彩を欠くプーチンの演説が印象的でした。

 戦勝記念日の前も後も、最前線では激しい白兵戦が展開され、参加した将兵は一定の確率で生涯PTSDに苦しむことになりますから、こういう場を作り出すこと自体が、大変に罪作りです。

 米軍は21世紀初頭「第2次湾岸戦争」での白兵戦を最後に、ドローン/AIの無人戦闘にシフトしています。

 2022年にプーチンが始めた「ウクライナ戦争」は、機械対人間の殺し合いという、手塚治虫が「鉄腕アトム」で憂慮したディストピア、暗黒の未来が形を変えて実現している側面があると感じます。

 ここで「人間」はロシア兵、「機械」は西側攻撃武力。

 報道は「ロシアの侵略武力」VS「ウクライナの愛国防衛」というシナリオありきで報じますが、焼け焦げた戦車1台には、最低3人の若いロシア兵の死が付随しているわけで、正直、私は正視に耐えない思いを持ちます。

 ブチャの虐殺や拷問・レイプ死など論外なのは言うまでもありません。

 そのような戦場に投入される兵士の命の軽さに、平和な第三局にある私たちは、もっと敏感であるべきではないでしょうか? 

 ソ連=ロシアは、敵も味方も一様に「命の値段」が軽い。人を人と思っていない面があります。

 これを「家長権」という<生殺与奪の権利>いわばDV権を振り回していた近代以前の悪弊、陋習の観点から、検討してみたいと思います。

 ウラジーミル・プーチンはこの「家長権」を振り回し過ぎて、自ら墓穴を掘り続けている最中の可能性があります。