(真山 知幸:偉人研究家)
ロシアがウクライナ侵攻を開始して5カ月以上が過ぎた。プーチン大統領は「独裁者による暴挙」と国際社会から批判を浴びながらも、侵攻の手を緩める気は今のところないようだ。ロシアが国際社会から孤立していくなか、独裁政治が辿り着く場所に注目が集まっている。世界史を紐解いてみたときに、はたして過去にはどんな独裁者がいて、どんな末路を迎えているのだろうか。この記事では5人の独裁者の「最期」を取り上げたい。
独裁者ムッソリーニとヒトラーの異なる最期
「20世紀最大の独裁者」とも呼ばれる、ドイツ首相のアドルフ・ヒトラー。国民の絶大な人気を追い風にして、ヒトラーは他国への無謀な侵略を繰り返した。1940年には、ポーランド南部にアウシュヴィッツ収容所を建設。公約に掲げて多くのドイツ国民から支持された「反ユダヤ主義」を実現すべく、ユダヤ人の大虐殺を行っている。
そんなヒトラーに降りかかった暗殺計画は実に40回を超えた。中には爆弾の入ったカバンをたまたま数センチ移動させた者がいたため、命拾いしたケースもあったという。
何度となく暗殺から逃れたヒトラーだったが、ドイツがすべての戦線で敗戦濃厚となると、追い詰められていく。1945年1月16日からは地下壕に居を移している。
4月16日、ソ連軍はドイツの首都ベルリンの包囲に成功。ソ連軍が総統官邸を目指すなか、ヒトラーは4月30日に愛人エバ・ブラウンとともに自室で自殺する。ヒトラーは青酸カリのカプセルを噛み砕いてからこめかみに銃を打ち、エヴァは服毒自殺したとされている。これまでの苦労を報いるためだろうか。自殺の前日にヒトラーは遺書を書いてから、エヴァと結婚式を挙げている。
一方、イタリアでは、ヒトラーの尊敬した独裁者ムッソリーニが銃殺。ヒトラーが自殺する2日前のことである。ムッソリーニは、愛人クララや幹部とともにミラノの駅前広場で見せしめのために逆さ吊りにされて、民衆から遺体を足蹴にされるという無残な死を迎えている。
絶頂期での熱狂的な支持がまるで夢だったかのように、悲惨な最期へと転落していく。ヒトラーはそんな目に遭わないためにも、自ら命を絶つ道を選んだのだろう。