「雨や雪解け水を集め、ラジエーターの工業用水も飲んだ」

 旧ソ連時代に建設され、地下6階の要塞まで備えられているというアゾフスターリ製鉄所での戦闘生活はどのようなものだったのだろうか。

「1万2000人が働くアゾフスターリ製鉄所は非常に巨大で、ちょうどバチカンを2つぐらい合わせたぐらいの広さです。地下にシェルターがあり、事前の訓練で最高のシェルターになることが分かっていました。ロシア軍にマリウポリが包囲され、爆撃が激しくなると、ウクライナ軍やアゾフ連隊、民間人が避難しました」とナタリアさんは説明する。

 夫は2月24日からマリウポリで転々と場所を変えて戦った後、アゾフスターリ製鉄所に立て籠もった。夫の兄弟や姉妹も一緒だった。ナタリアさんは夫とテレグラムで連絡を取り合っていたが、爆撃が激しくなると通話は中断された。なかなかつながらないので夫は5度も7度も電話をかけてきた。爆撃音が聞こえた。接続が中断され、連絡は完全に途絶えた。

 米起業家イーロン・マスク氏のスターリンク衛星インターネットシステムにより再び接続され、夫のメッセージがダウンロードできた。それを読んだ時、本当にショックだった。アゾフスターリ製鉄所には飲料水がなかった。雨や雪解け水を集め、ラジエーターの工業用水も飲んだ。満足な食事がとれず、夫の体重は20キログラム以上も減った。

「夫は1日に1回の食事しかなく、それも栄養のないお粥だと言っていました。地下シェルターで夫が誕生日を迎えた時、仲間たちが薄くスライスしたパンのようなものを焼いて祝ってくれました。何百人も負傷者がいて本当に地獄だったそうです。腕を失った兵士がいるのに薬もなく、輸血もできない。足を失った司令官の1人が出血多量で死にました」