「私たち夫婦はアゾフスターリ製鉄所で結婚式を挙げました」

 ロシア軍がウクライナに侵攻してきた2月24日、ナタリアさんは首都キーウに、バグダンさんはマリウポリにいた。ナタリアさんがマリウポリに夫を訪ねたのは2月中旬だった。「私たち夫婦はアゾフスターリ製鉄所で結婚式を挙げました」とナタリアさんは振り返る。夫は東部ドンバスの親露派分離主義勢力と戦うため、2019年にアゾフ連隊に志願していた。

「アゾフ連隊は手強かったので、ロシアは彼らを貶めるプロパガンダを繰り広げました。アゾフ連隊はそれほど強力で、占領者たちと戦う十分な力を持っていました。彼の連隊は本物のヒーローであることを証明しました。82日間も完全に包囲される中で、水や食料もないのにこれだけ奮闘した例は世界にもありません」

「彼らは圧倒的な戦力を持つロシア軍を自分たちに引き付け、対等に戦いました。空から、海から、陸から執拗な爆撃を受けました。ロシア軍は禁じられた兵器も使用しました。それでも彼らは生き残りました。いま彼らは疲弊し、負傷しています。休息が必要なのに、ロシア軍は拷問を加えています。捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約に違反しています」

 実は6月8日には病弱だった夫の母オレナさんが60歳で亡くなり、2日後、葬儀が営まれたという。夫に死を伝えることすらできなかった。

「義母は夫が捕虜になったことを信じられませんでした。強いショックを受けていました。これは戦争ではなく、大量殺人です。インターネット全盛の21世紀なのに、世界は沈黙を守っています。私には理解できません」