(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
「武士の荘園侵略」の実態とは
「武士の荘園侵略」。そんな言葉を、歴史の教科書で見た記憶はありませんか?
鎌倉時代になると、幕府の御家人たちが、各地の荘園に地頭として入り込むようになります(第21回[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70338]参照)。地頭たちは、自分の取り分を勝手に増やしたり、荘園領主に上納する年貢の一部を横取りしたり、村人たちを私用に使ったり。「武士の荘園侵略」とは、そうした行為の総称です。
もちろん、荘園領主である貴族や寺社の側も黙ってはいません。幕府に「そちらの御家人が勝手な事をして困る、やめさせてくれ」と訴え出て、裁判となります。そこで、幕府は武士たちの権利を守るための政府だから、当然、武士(地頭)側に有利な判決が出るものだろう、と考えたくなります。
でも、そうではないのです。「武士の荘園侵略」をめぐる裁判の判決文を読んでみると、幕府は地頭に対して「不法行為をやめなさい」と命じているケースが、意外なほど多いのです。
なぜ、幕府は荘園領主たちの肩をもったのでしょう? 理由はいくつかあります。
まず、この時代の人々は、慣習法を重んじる考え方をしていました。当時の人たちにとって、社会規範とは慣習を意味していたのです。昔から伝統的に行われてきたこと=正しいこと、新しいやり方=不法行為、という価値観です。貴族たちがしばしば前例にこだわるのも、こうした価値観ゆえです。
一方、鎌倉幕府ができると、平家から没収した西国の荘園などに、東国の武士たちが地頭として入り込むようになります。彼らは、東国で今まで自分たちがやっていた方法で、その土地を治めようとします。
でも、東国と西国ではもともと文化や慣習が違います。土地を治めたり、年貢を取ったりするやり方も同じではありません。そこへ東国のやり方を力ずくで持ち込むと、村人や荘園領主側の代官は「今までと違う、不法行為だ」となるわけです。これを、証拠の審査と当時の社会通念に照らして裁くと、「地頭は不法行為をやめなさい」となるわけです。
もうひとつ、幕府自身の仕組みという問題があります。第22回(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70339)・第23回(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70515)で説明してきたように、鎌倉殿自身が巨大な荘園領主・知行国主となることによって、幕府は権力と財政基盤を確立してきました。そうである以上、荘園という利権システムを維持しないと、幕府自身の権力基盤を掘り崩すことになってしまいます。
ここが、歴史の真理です。
歴史上、いかなる新政府も革命政府も、既存の税制・収取システムをご破算にしたところから出発することなど、できませんでした。どれだけ立派な理念を掲げてみても、税収がなければ権力は成立しないからです。
おまけに、いつの時代も税制や収取システムとは、複雑怪奇なものです。まったく新しい理想的な税制をゼロから創りあげようなどと思ったら、途方もない手間がかかります。それでは、新税制が機能するまで権力を保つことができません。
だから、いつの時代でも新政府や革命政府は、まず既存の税制・収取システムの上に乗っかり、少しずつアップデートしてゆくコースをたどります。鎌倉幕府は、武家政権であると同時に、荘園制(正しくは荘園公領制)という既存の利権システムにパラサイトして成り立っている権力でもあったのです。
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