鎌倉幕府が押し進めた「武士の荘園侵略」に見る権力の本質 源氏山から鎌倉を見守る頼朝像 撮影/西股 総生 (画像1/5) 湯河原駅に立つ土肥実平夫婦像。平家との戦いで戦功のあった御家人たちは、西国の荘園で地頭職をもらうことも多かった (画像2/5) 西国の荘園に入部した御家人たちは、東国流のやり方で年貢の取り立てや土地支配に当たるのだが…。写真は伊豆北条付近の水田 撮影/西股 総生 (画像3/5) 京都御所の御学問所。1867年(慶応3)明治天皇と討幕派はここで王政復古の大号令を出したものの、新政府には財政基盤がなかった 撮影/西股 総生 (画像4/5) (画像5/5) 鎌倉幕府が押し進めた「武士の荘園侵略」に見る権力の本質 この写真の記事を読む