「どうして沖縄にだけこんなに米軍基地が」

 普天間基地の移転先といわれる辺野古に向かった。

 辺野古の海は美しい。海岸に出ると500メートル程沖合に陸続きの島があり、赤い鳥居が見えた。左手のなだらかな砂浜は遠方に突き出た陸地まで続いているが、途中の有刺鉄線で立ち入り禁止になっていた。有刺鉄線には“埋め立て反対”を訴える様々な色の布切れが風に舞っていた。近くには“埋め立て反対派”が陣取るプレハブ小屋も建てられている。この静かな海は今や脚光を浴びて妙な空気で騒々しい。

辺野古海岸に設置された鉄鎖網(撮影:橋本昇)
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 海岸の波打ち際に大きな海亀が打ち上げられていた。3、4人が取り囲んでいる。

「さっきまで動いていたのに、今はピクリとも動かんな」

「きっとビニール袋でも呑み込んだんだろう。かわいそうに」

「昔だったら喜んで肉を食べたもんさー。剥製にしたら立派な壁掛けになるさ」

辺野古の砂浜に打ち上げられた海亀(撮影:橋本昇)
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 この死んだ海亀の姿の方が、どんな大声の反対派の大声よりもずっと多くを語っている。そんな気がした。

「どうして沖縄だけがこんな圧倒的な数の米軍基地を受け入れなくてはならないのか?」というのが沖縄の主張だ。

 普天間基地の移転先についても、豊かな自然環境を壊してまで辺野古である必要があるのか?

 もちろん、移転に賛成の声もある。理由は地元の活性化だ。だから辺野古は今も揺れている。

 本土復帰50年を迎えた沖縄。戦後間もない物のない頃、沖縄の人々は米軍の捨てた大豆缶から三線を作り、かき鳴らして踊り、コカ・コーラの瓶を融かして色鮮やかな琉球ガラスを作った。それが“うちなー”琉球人のアイデンティティなのだ。

 かつて時の首相鳩山由紀夫は基地問題のお詫び行脚で沖縄に出向いた。県庁前で抗議する人々の中から一人のおばぁが叫んだ。

「はとやま! ばかたれ! もう来ちゃいけんよ」

 印象に残る一言だった。