5月9日に行われた大統領選挙で当選したフェルディナンド・マルコス・ジュニア氏(写真:ロイター/アフロ)

(フォトグラファー:橋本 昇)

 まるで「独裁者」の亡霊が蘇ったような気持ちになった。

 今回のフィリピンの大統領選挙で、かつて20年以上も大統領の座につき独裁体制を敷いていた故マルコス元大統領の長男フェルディナンド・マルコス・ジュニア、通称「ボンボン・マルコス」(64)が圧倒的多数の票を集めて勝利した。

 かつて、共にマルコス政権の崩壊を取材したO氏はこの選挙結果を見て言った。

「あの“ボンボン”が大統領だって? 散々バカにされていたのにね。あいつが大統領になってフィリピンがどう変わるのかわからないけど、いま確実に言えるのはニノイ・アキノ国際空港(旧・マニラ国際空港)の名前がまた変わるって事だね」

歴史の変わり目

 話は1986年のフィリピン大統領選挙に遡る。

 1986年2月25日、私はマニラ行きのJAL臨時便に乗っていた。ほんの少し前まで取材で滞在してたフィリピンにまた向かっていた。乗客は私を含めてわずか5人。マニラ空港に着くと、ゲートにはマシンガンを抱えた兵士達がずらりと並んでいた。待合室には、マニラから脱出する日本人が集まって、呆れたような顔でこちらを見ていた。JAL機は脱出組を拾って、日本へと飛んで行った。

 マニラは一触即発の状態だった。後に「2月革命」とも「ピープルパワー革命」とも呼ばれる政変だ。先立って行われた大統領選挙の開票で現職のマルコス大統領の不正が疑われ、それに国民が反発、デモが繰り広げられ、とうとう軍の将校によるクーデターが起きていた。その歴史の転換点を取材するため、私は戻ってきたのだ。