空港を出た足で、政府軍と革命軍との間で銃撃戦が起きているというキャンプ・クラメ(陸軍の駐屯地)に向かった。キャンプ・クラメのゲート前は騒然としていた。数台の戦車を取り囲んだ群衆が口々に叫んでいる。戦車によじ登って叫ぶ者もいる。

「マルコスに味方するヤツは我々の敵だ!」

「アン・バヤンコ・フィリピーナ!(我が祖国よ!)」

感動的な民衆の蜂起

 群衆は、革命軍が軍の建物に向かって発砲すると喝さいの拍手を贈り、逆に中から撃ち返してくるとクモの子を散らすように逃げた。そんな渦の中を煙草売りやジュース売りの少年達が水すましのように泳いでいた。

「我が祖国よ」(写真:橋本 昇)
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 その夜、抗議の声はさらに強まり、マニラの大通りは群衆で埋めつくされた。群衆はマラカニアン宮殿にも押し寄せ、“バヤンコ”の大合唱がマニラの夜空に響き渡った。それは取材者から見ても感動的な光景だった。カメラを抱えて群衆の中を泳ぎながら、私もその場の人々と共に感動していた。

100万人の市民がマラカニアン宮殿に押し寄せた(写真:橋本 昇)
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 しばらくして、やっと宮殿の塀に辿り着くと、塀の上によじ登っていた男たちがこちらに手を差し伸べてきた。後ろからは尻を押す人達がいる。気がつくと塀の上に上がって中の警備兵達とにらめっこ状態になっていた。しかし、やがて門の扉を開けて群衆が流れ込むと、その警備兵達もあわてて裏から逃げて行った。

 後で知ったのだが、その数時間前にマルコス大統領一家はアメリカ軍のヘリでマラカニアン宮殿を脱出していた。もちろんボンボン・マルコスも一緒だ。民衆革命は大統領の亡命で幕を下ろした。