観光客はひっきりなしにやって来る。屋上まで上がって、備え付けの双眼鏡で基地を覗き、下の店内で戦闘機のTシャツやキーホルダーなどのミリタリーグッズを選ぶ。嘉手納ならではの道の駅だ。

 観光客で地元は潤うが、やはり基地フェンスの隣に暮らす人々にとって騒音は堪らない。道の駅とフェンスとの間の狭い畑に農作業をするおやじさんがいた。

「ここのゴーヤもカボチャも芽を出した時から戦闘機の轟音とつき合って育ったから特別な味がするよ」

 おじさんはもぎ取ったカボチャを撫でながら笑った。

基地の外の黙認耕作地でカボチャを作るおじぃ(撮影:橋本昇)
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地元住民が逃れられない轟音

 フェンスの向こうでP-3C対潜哨戒機のエンジンが唸りをあげた。轟音が鼓膜を震わせ、ケロシンの排気ガスが嗅覚を刺激する。

 それにしても凄まじい音だ。

「慣れてはいるけど“何とかしてくれ”と叫びたくなる時もあるね。近くの幼稚園は窓が3重ガラスになっているよ」

離陸していくF-22。轟音で耳の中が痒くなった(撮影:橋本昇)
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 60年代後半、嘉手納基地はベトナムの戦場と直結していた。次々に機体の腹いっぱいに爆弾を詰め込んだB-52爆撃機が8基のエンジンから黒煙を吐き出しながら離陸して北ベトナム爆撃へと飛んで行った。

 当時の様子を覚えているという先出のカメラマン・Mさんは言う。

「子供の頃だよ。忘れられないのはキューンという野太い金属音だね。20機ぐらいが連続して舞い上がって行くのを首が痛くなるまで見ていたよ。服を臭うとケロシンの臭いがしたね。離陸したB-52が墜落事故を起こして島じゅうが大騒ぎした事もあったね」

 まさに戦場だ。