「大祖国戦争」と比較され始めた「特別軍事作戦」
3月下旬の時点でウクライナがロシアに侵攻してくる恐れは皆無だったが、企業は対戦車防衛を準備するよう指示された。ロシア領土が侵略されるというデタラメが戦争を正当化する口実として使われたのだ。
それが現在、露メディアを通じて流されるコンテキストは、東部ドンバスに限定された戦闘から、ウクライナを戦場としたNATOとの組織的闘争へと変わった。ウクライナへの「特別軍事作戦」は「大祖国戦争」並みに扱われだしたのだ。
4月3日にはキリル総主教がロシア軍の大聖堂で「私たちはファシズムを壊滅させたことがある。再びそれを繰り返すだろう」と述べた。
翌4日「ウクライナを非ナチ化するためには少なくとも一世代は主権を失うべきだ」と唱える政治活動家ティモフェイ・セルゲイセフ氏は露国営通信RIAノーボスチに「ウクライナ国民の大半は消極的ナチだ。非ナチ化は必然的に脱ウクライナ化でもある」と主張した。
このように、公に戦争について議論することは禁止されていたはずなのに「特別軍事作戦」は戦争とみなされるようになった。
同月18日、ビチェスラフ・ニコノフ国家院副議長は「これは善と悪の力の激突だ。われわれは聖戦を戦っており、勝たなければならない」と述べた。テレビはロシア存立にかかわる闘争として「特別軍事作戦」のエスカレーションを促すコメンテーターの発言であふれ返った。
ロシア軍の戦車と分かるように使用された「Z」はキリル文字にはない。今では大祖国戦争の勝利(1945年)から77年を意味すると解釈されている。2つの「7」を重ね、そのうち1つを逆さにしたシンボルだというのである。ロシアの軍事的後退は、NATOがウクライナのナチスを利用した結果だというデッチ上げが展開されている。弱体化した兵力を補強するため徴兵と兵役契約、予備役の招集を正当化する必要に迫られているからだ。