ウクライナは歴史的にも、また国際金融の舞台としても困難な道を辿った国である。国際通貨基金(IMF)においてリーマンショックからウクライナ支援までの政策決定を経験した山岡浩巳氏が解説する。連載「ポストコロナのIT・未来予想図」の第76回。

 今回は、ITとはやや離れますが、ウクライナ情勢が世界の注目を集めている中、私にとっても国際通貨基金勤務の中で思い出深いウクライナ支援パッケージについて記しておきたいと思います。

ウクライナの経済危機

 私は2007年から国際通貨基金(IMF)に日本理事代理として勤務しました。着任当初、世界は“Great Moderation”(大安定期)と呼ばれる、経済史でも稀な安定期にありました。後から見れば、実は2007年は大安定期の最終年だったわけですが、着任当初は、IMFからお金を借りて利息を払っているのはほぼトルコだけという状況でした。危機国にお金を貸すのが仕事であるIMFとしても、世界が安定して仕事が減っているので、職員も減らさなければというリストラの時代でもありました。

 ところが、2008年に生じたリーマンショックとグローバル金融危機により世界経済は激変しました。IMFは急激に忙しくなり、リストラした職員を雇い直し、さらに増員もしなければ仕事が回らない、という激変を経験しました。

 グローバル金融危機後に経済が悪化した国としては、ギリシャをはじめとする欧州の国々が有名ですが、実は、2008年9月のリーマンショック後、真っ先に経済が危機に陥ったのはアイスランド、ラトビア、そしてウクライナでした。

 実際、アイスランドは2008年11月19日に21億ドルの融資パッケージ、ラトビアも同年12月23日に23.5億ドルの融資パッケージが決定されました。なかでも、最も早く、また、最も多額の支援が決定されたのがウクライナであり、2008年11月5日に164億ドルの融資パッケージが決定されています。