教育改革実践家として教育改革に奔走している藤原和博さん教育改革実践家として教育改革に奔走している藤原和博さん

 リクルートの伝説の営業マンとして名を馳せ、40歳で独立した後は民間出身者として初めて東京・杉並の公立中学校の校長を務めた藤原和博さん。前編では、リクルートの強さの源泉である採用の鉄則や同社に流れる「圧倒的当事者意識」について話を聞いた。後編では、藤原さんが実践する教育改革について見ていく。

※このインタビューは『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』文庫版(新潮社)の出版を記念して行われたトークショーをもとに作成した

【前編】「運のいいヤツを採れ」リクルートを8兆円企業に変えた採用の鉄則と圧倒的当事者意識

社員を成長させたリクルート事件

大西康之氏(以下、大西):江副さんの社長専用ジェット・ヘリコプターを乗り回していた、という伝説もあります。

藤原和博氏(以下、藤原):僕じゃなくて僕の部隊の人たちがね。あの頃、リクルートは民営化したNTTから専用回線を仕入れて企業に売る回線リセールの仕事をしていました。その時に、銀行に営業をかけていた部下がNTTの式場さん(※)を乗せて九州あたりに飛んでいました。

※NTT取締役だった式場英氏。リクルート事件の収賄容疑で逮捕

 冒頭、大西さんはリクルートの社員はどう育つか、とお尋ねになりましたが、一番大きなイベントはリクルート事件ですよ。

 それまで会社は急成長をしていて、江副さんは政府の委員会のメンバーなんかをやって有名になりつつあった。僕らは銀座で飲んでも、その場でお金を払ったことは一度もない。全部ツケ。信用があったんですよ。

 その信用が一夜にして暴落するわけです。

 それまで「リクルートで通信事業をやっている藤原です」と言っていましたが、事件の後はリクルートの「リ」がついただけで叩かれる。すると「藤原と言います。御社の通信費用を半分にできます」と順番が変わる。

 大企業で働いている人たち、例えば三菱や三井住友など財閥系の人たちは、100年以上かけて築き上げられた信用に守られているんです。その価値は何兆円あるかわからない。その信用がなくなったとき、僕らは個人で戦うしかなかった。だからあの頃、リクルートでマネジャーをやっていた連中は、どこへ行っても戦えるんですよ。

大西:もともと逆境で戦える人たちが集まっていたという部分もありませんか?

藤原:そうですね。よくリクルートは「教育」の会社だと言われますが、僕は「採用」の会社だと言っています。

 事件の直前の1年間の採用費用が確か86億円ですよ。そのうち20億円が米クレイ社のスーパーコンピューター。使うアテもないのに、工学部系の学生を採用するためだけに2台も買って、それがニュースとして日経新聞の一面に載った。

 客寄せパンダとして使った後は「除却(※)」ですよ。リクルーター(採用担当者)は赤門から出てくる東大の学生の全員を捕まえて口説いたんです。

※帳簿に資産として計上していたものをなくす作業

 僕は中小企業の経営者に何度も言っているんです。「本気で飛躍したいなら採用に他社の100倍の金をかけろ」と。

 そうしたら、ビルの構造設計などを手がける構造計画研究所の服部正太さんという二代目の社長が本気になって、年商60億円、利益3億円くらいの時に採用に1億円かけた。この会社はその後、みごとに成長して。今はその時に採用した人たちが幹部になっているはずですよ。

 日本の中小企業は採用に力を入れなさすぎなんです。リクルートでは、どうしても採用したい学生がいると、江副さんが銀行の頭取のアポをすっ飛ばして、最後の一押しの面接に駆けつけていました。

 僕はこれを「シンボルのマネジメント」と呼んでいます。自分が行動することで、会社が何を大切にしているかを見せつける。リクルートは一番成績のいいセールスに採用をやらせていましたから。

大西:ロサンゼルス・ドジャースが大谷翔平にスカウトをやらせる、みたいな。大谷に「一緒にやろうぜ!」と言われたら、ドジャースに入りますよね。

藤原:それいい! そういうことですよ。

 ……で、亀倉雄策先生(※)がオレンジ色に塗っちゃったクレイのスーパーコンピューターがいらなさそうだから、「僕が引き取るよ」と言ったら、「輸送するだけで1500万円かかります」と言われたので諦めました。

※日本のデザイナーの草分け。1964年東京五輪のシンボルマークやリクルートのカモメのマーク、民営化したNTTのマークなどをデザインした