
リクルート事件で負った膨大な借金の返済にようやく目途がつき始めた2001年6月。同社の株主総会の席で、当時、社長だった河野栄子氏に退陣を迫った社員がいる。藤原和博さんだ。
「あなたのプレゼンには、なんら未来へのビジョンがない。リクルートは情報産業の先端を走る会社のはずです。いつ社長を辞めるおつもりでしょうか。もし株式の上場を果たしてからというつもりなら、それは間違いです」
そんなシーンから始まる『リクルートという奇跡』は、リクルートがどんな会社で、なぜ社外で通用する人材を多く輩出できるのかという問いかけに、はじめてリクルートの人間が答えたものだ。株主総会の9カ月後にリクルートを辞め、新たなフィールド、教育の現場で活躍した藤原さんにとって、リクルートとはどういう存在だったのだろうか。
※このインタビューは『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』文庫版(新潮社)の出版を記念して行われたトークショーをもとに作成した
藤原和博と有森裕子の共通点
大西康之氏(以下、大西):著名なリクルート出身者「元リク」に「僕はリクルートで何を学んだか」を語っていただくトークショーの第4弾。本日はリクルートの初代フェローで、杉並区立和田中学の元校長、教育改革実践家の藤原和博さんにお越しいただきました。藤原さん、よろしくお願いします。
藤原和博氏(以下、藤原):よろしくお願いします。
大西:リクルートで「伝説の営業マン」と言われた藤原さんは、40歳で退社されてから同社の初代フェロー(※)を務められました。この肩書きは藤原さんのために作られたと聞いていますが、今も残っているのでしょうか。
※リクルートのフェロー制度とは、特定の分野で高いスキルや能力を持つ外部の人材と業務委託契約を結ぶこと
藤原:もうないみたいですね。あの制度ができて一番喜んだのはマラソンの有森裕子さん(※)でしょうね。フェローのミニ版としてできたのがIO制度(※)で、それで成功したのがこのトークショーにも出た大篠さん(※)ですね。
※リクルート3代目フェロー
※IO(イオ)=退職者の起業支援制度
※大篠充能・ゼロイン社長
リクルートが銀座を追い出された後も、銀座に会社があって、銀座のダンナ衆のゴルフ会の事務局長をやっている本当に偉いヤツです。
◎なぜリクルートは時価総額18兆円の企業になったのか?リクルート史上最強の「お祭り男」が振り返る勝利の方程式(JBpress)
藤原:彼は総務の仕事のアウトソーシングの会社を立ち上げてリクルートの業務を請け負ったら、その前まで150人近くいたリクルートの総務部社員が十数人になるくらい効果がありました。
大篠さんは新人の時、総務部で自動販売機の管理を任されたんですが、リクルートはいろんな飲料メーカーさんとお付き合いがあるので、会社の中にほぼ全メーカーの自販機があったんです。
大篠さんは何十台もある自販機の並べ方をいろいろと試して「この商品とこの商品を隣り合わせると、こんなに売れ行きが良くなる」みたいなデータを取って、メーカーにアドバイスを始めました。
飲料メーカーさんも、自分の会社の自販機ではいろいろ試すんですが、よその自販機と並べたデータは持っていないので、大変喜ばれました。ふつう、総務の社員がそこまでやりませんよね。
大篠さんは高卒ですが、あの頃のリクルートは爆発的に成長していたので、常に猫の手も借りたい状況で、女性だから、高卒だから、外国籍だから、どうこうと言っていられない環境にあった。そういう中で大篠さんみたいな人材がどんどん育っていった感じです。
