社員を鍛えるリクルートの「圧倒的当事者意識」

藤原:研修プログラムがあるわけじゃなくて、これは有名ですが「お前はどうしたいの?」ですよ。会社や部門や個人としての目標はある。ただ、それをどうやって達成するか、そのやり方は任される。すると、社員はその目標を「自分ごと」として考える。リクルートでよく言う「圧倒的当事者意識」ってやつです。

 リクルートを辞めてから教育関連の仕事をしているので文部科学省の官僚や教育委員会のスタッフとよく仕事をするのですが、彼らには当事者意識が足りない。全部「他人事」なんです。

 僕の人生を決めたのは、この圧倒的当事者意識。自分が書いた本の中では、それを「リクルートマンシップ」と呼んでいますが、それをスローガンにすれば「自ら機会を作り出し機会によって自らを変えよ」ですよ。

大西:江副さんが作った社是ですね。

藤原:最初に作ったのは江副さんじゃないと思います。みんなが大事にしていた精神を広告制作担当の女性が「こんな感じじゃないですか」と小さな卓上プレートにして。みんなが「それちょうだい」「それちょうだい」となって、下から広がっていった。

 みんな「人事部が自分のキャリアを考えてくれる」なんてカケラも思っていませんでしたから。「自ら機会を作り出せ」ですよ。

大西:「自ら機会を作り出す」を実践した藤原さんは、リクルートで数々の伝説を残しています。例えば、江副さんとバンドを組んでいた、とか。

藤原:いやいや、江副さんとは組んでいません。組んでいたのは、リクルートの有名人でチェリッシュのギタリストをしていた東正任(※)さんたちです。

※映画制作のため名古屋大学から日大芸術学部に移り、制作費を捻出するために保育所経営とチリ紙交換を始める。学生寮に大量のリクルートブックが捨てられているのを見てリクルートに関心を持ち、江副氏に気に入られて1976年にリクルートに入社。1992年にリクルートの筆頭株主になったダイエーの中内㓛氏にも重用され、ダイエーとリクルートのシナジーを目指す「暁の駱駝プロジェクト」で福岡ドーム開発の総合プロデューサーを担当した。

 バンドのみんなで正月に南麻布の江副さんの自宅に押しかけて演奏したら、江副さんが「いいね、いいね」と気に入ってくれたので、「情報音楽部を作りたい」とお願いしました。

「情報音楽」って言葉はないと思いますが、当時、江副さんが「情報、情報」と言っていたので、情報と付ければ乗ってくるかと思ったら、案の定「そうか、情報か」と150万円出してもらいました。

 バンドの名前は「COSMOS(コスモス)」。主に社内で活動するのですが、当時のリクルートは東京プリンスホテルの鳳凰の間とかでパーティーをしていたので、2000人の前でやるんですよ。

 江副さんが始めたリクルートの不動産会社はもともと「環境開発」という名前でしたが、株式を上場することになり、「環境開発じゃ、若い人たちに響かない」という話になって。経営会議では「リクルート不動産」という直裁な社名が案として上がっていたのですが、江副さんが「ほら、藤原君たちがやってるバンドの名前、なんだっけ。あれ、かっこいいだろ」と言って「リクルートコスモス」になったんです。本当の話。

※後編「『95歳まで授業をやります』リクルート伝説の営業マンが教育改革実践家になった理由」 に続く

大西 康之 (おおにし やすゆき)
1965(昭和40)年生れ。愛知県出身。1988年、早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。1998(平成10)年、欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』『流山がすごい』『起業の天才! 江副浩正8兆円企業リクルートをつくった男』『三洋電機 井植敏の告白』『稲盛和夫 最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』などがある。