
「元リク」列伝、最終回は、サラリーマンから5代目Jリーグチェアマンになった村井満さん。プロサッカーの経験もない人間にチェアマンが務まるのか──。そんな周囲の不安をよそに、村井さんは「経営者」の目線でJリーグを「稼げる組織」に変えていく。Jリーグの収益を2倍に、Jリーグ加盟クラブの収益も868億円から1240億円に伸ばして懐を潤わせた。高収益な組織となった日本のサッカーは選手層も厚くなり、2022年のワールドカップでは強豪国のドイツとスペインを撃破。決勝トーナメントに駒を進めた。人事の天才が見抜いた、心が弱い、怪我が多い、足が遅い、それでも超一流になる選手の資質とは?
※このインタビューは『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』文庫版(新潮社)の出版を記念して行われたトークショーをもとに作成した
一介のサラリーマンがなぜチェアマンに?
大西康之氏(以下、大西):各界で活躍する元リクルート社員「元リク」に「僕はリクルートで何を学んだか」をお聞きするトークショー。最終回の今日は、元Jリーグチェアマンの村井満さん(元リクルート執行役員・リクルートエージェント社長)にお越しいただきました。村井さん、ありがとうございます。
村井満氏(以下、村井):ありがとうございます。
大西:村井さんといえば、2014年から2022年までの8年間、JリーグチェアマンとしてJリーグの大改革をリードした方として有名ですが、リクルート出身というのはあまり知られていないかもしれません。
そもそもJリーグのチェアマンというのは有名サッカー選手やプロチームの経営者が歴任していますが、村井さんは一介のサラリーマンからチェアマンになったという異色の経歴をお持ちです。まずはチェアマンになられた経緯を教えてください。

村井:リクルートでずっと人材の仕事をしておりまして。最後の方は転職相談の会社の社長なんかもやっていたのですが、社会貢献と言いますか、世の中に何か恩返しをと考えていたタイミングで、引退するサッカー、野球選手のセカンドキャリアを支えるという活動を始めました。
そもそもJリーグでは、初代チェアマンの川淵三郎さんがセカンドキャリアについて非常に熱心に取り組んでおられた背景もありました。
Jリーグの理事は20人ほどおり、その中に学識経験者枠があります。その欠員が出た2008年のタイミングで、縁のあった私に社外理事の打診がありました。
20人の中の1人なので気楽なもので、月に一度の理事会に出て、あーだ、こーだと好きなこちを言うだけ。香港に単身赴任していた時期は社外理事として、理事会で月に一回、帰国するという生活を3年間続けました。
それでまあ、理事会で好きなことを言ってきたわけですが、4代目チェアマンの大東さん(*)が代わるタイミングで、「お前がやってみろ」という話になり、5代目のチェアマンになりました。
*大東和美氏。元ラグビー日本代表、早稲田大学ラグビー部で活躍し、住友金属工業に勤務しながら早稲田大学ラグビー部監督として大学選手権優勝。2006年からJ1の鹿島アントラーズ社長、2010年からJリーグチェアマン。