「江副さんも僕も、いまのリクルートでは通用しない」
大西:先週、トークショーに来ていただいた元楽天常務の高橋理人さんは「過去を消し去れるのがリクルートの最大の強み」と言っていました。みんな辞めちゃうから、そもそも「俺の時代にはな」という上司がいない。先日、リクルートの社内報「かもめ」が「リクルートに歴史は必要か」という特集を組んでいました。
◎共通項は地方の中小零細企業、「青いR」江副浩正と「赤いR」三木谷浩史が作った最強のビジネスモデルとは(JBpress)
藤原:失礼な会社ですよね。でも、今のリクルートは江副さんがいた頃のリクルートではまったくありません。柏木さん、峰岸さん、出木場さん(※)によって、会社の中身は完全に入れ替わりました。
※歴代リクルート社長の柏木均氏、峰岸真澄氏、出木場久征氏
江副さんが生きていたら88歳かな。今のリクルートではまったく通用しません。僕も同じ。通用しない。もう全然別の会社ですから。
今回の大西さんの本では、あたかも江副さんが今日のリクルートを予言したように書いていますが、あれは間違い。江副さんが始めたのは通信回線のリセールです。
僕らは「回線問屋」と呼んでいたけど、インターネットの本質には届いていません。それを理解していたらグーグルをつくっていたはずです。百歩譲ってもサーバーエージェントはつくっていないと。
大西:旗色が悪くなってきたので話を変えます。そもそも藤原さんは東大を出て、なぜリクルートに入ったのですか。
藤原:大学3年で卒業に必要な単位を全部取ってしまったので、4年生から働きたいと思っていました。それでボストン・コンサルティングなど数社を回ったのですが、どこも「秋から来てください」と言うので、それならかねて関心のあった英国に留学しようと思ってアルバイトをすることにしました。
そこにDM(ダイレクトメール)を送ってきたのがリクルートです。早く働きたくてうずうずしていた僕は、「スーツを着て働いてもらいます」と言う文言に釣られてアルバイトを始めました。
アルバイトなのに会社のバスケット部に入って、僕の活躍で優勝なんかしちゃって、祝勝会に行ったらやけにかわいい娘がたくさんいる。リクルートの業務内容はカケラも知りませんでしたが、その風通しの良さに魅せられてそのまま入社してしまいました。
僕の大学の同級生は50人くらいのうち5、6人が経済産業省、それを含めて10人くらいが官僚になりました。あとはみんな都市銀行などの大企業で、中小企業はゼロ。リクルートの当時の売上高は100億円か150億円を目指している時期でしたが、そんな小さな会社に入ったのは僕だけでした。
「20代の自分を最も成長させてくれるビジネススクールはどこか」と考えていた僕にぴったりの会社だったんです。父親は最高裁判所の事務官をしていたんですが、特に反対はしなかったですね。
