
いま日本では多くの会社がマネジメント不足に悩んでいる。だが、大中小、さまざまな規模の組織をうまく回しながら、算盤を弾いてきっちり採算をとる。そんなマネジメント人材を大量に輩出している会社がある。リクルートだ。「元リクに任せれば大丈夫」――。特に、ネット業界やITベンチャーではそう言われる。
リクルート出身者はなぜ仕事が「できる」のか。彼ら、彼女らは、リクルートでどう育てられ、何を学び、その後のキャリアでそれをどう活かしているのか。ベストセラー『起業の天才! 江副浩正8兆円企業リクルートをつくった男』の著者・大西康之氏が、各界で活躍する「元リク」をインタビュー、その秘密に迫る2回目のゲストは、DAZNジャパン社長の笹本裕さん。
※このインタビューは『起業の天才 江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』文庫版(新潮社)の出版を記念して行われたトークショーをもとに作成した。
「社長をやってくれ」と声がかかるのはなぜ?
大西康之(以下、大西):「僕たちはリクルートで何を学んだか」をテーマに、リクルート出身の著名人にお話を聞くトークショーの第二回。今回はツイッター(現X)ジャパンの社長などを歴任され、現在は「DAZNジャパン」社長を務める笹本裕さんにお話を伺います。笹本さん、よろしくお願いします。
笹本:よろしくお願いします。
大西:笹本さんは新卒入社のリクルートで10年働いた後に起業。その後、音楽専門ケーブルテレビ、MTVジャパンの社長、マイクロソフトのアジア太平洋地域統括、再び起業した後、ツイッター・ジャパンの社長を9年間務めました。最後は、あのイーロン・マスク氏が上司です。現在はスポーツ配信大手DAZNジャパンの社長をしておられます。

こうしてご紹介すると、実に華麗な経歴ですが、「社長をやってくれ」と次から次へと声がかかるのは、なぜですか?
笹本:まあ、運ですよ。人との巡り合わせとか。自分が心がけているのは、「俺はこんなことがやりたいんだ」といつも大声で言っていることくらいですね。そうすると「じゃあ、やってみる?」と誰かが声をかけてくれるんです。
大西:新卒でリクルートに入社したのも、やりたいことがあったからですか。
笹本:いや、そうでもないです。僕は帰国子女だったので学生時代はNBC(注:米三大テレビ局の一つ)で通訳のアルバイトをしていて、漠然と「メディアで働きたい」と思っていました。
でも当時、米国のテレビ業界はリストラの嵐で採用どころではなくて。どうしようかなと思ってたら、周りの友達が紺のスーツを着始めたので「何カッコつけてんだ」と聞いたら、日本には「就職活動」というものがあるらしい、と知りました。
大西:気付いたのはいつごろ?
笹本:4年生の9月です。
大西:それは遅い!
笹本:世情に疎い帰国子女だったので。気付いた時には、ほとんどの会社の面接は終わっていました。その中で、まだやっていたのがリクルート。銀座の本社に行くと、天ぷらのお弁当を食べさせてくれて、「いい会社だなあ」と思いました。
10月1日には内定者みんなを軽井沢プリンスに連れて行ってくれて、ますますいい会社だと思いました。
大西:それは、内定者拘束ですね。バブル景気真っ只中の当時は、金融機関を中心に大企業が超大量採用で学生を奪い合っていて、成績のいい学生は内定を100個ももらっていました。
内定を出した学生を逃さないために、10月になると自社の内定者をディズニーランドやリゾートに連れて行き、他社の内定式に出られないようにした。
私も笹本さんと同じ1988年入社組ですが、当時リクルートというのはそれほど知名度の高い会社ではありませんでしたよね。
笹本:その頃、僕は祖母と二人暮らしだったんですが、「リクルートに就職する」と言ったら、「プロ野球をやってる会社だろ。よかったねえ」「おばあちゃん、それヤクルト」みたいな。