社長に直言「このままだったらリクルートは潰れますよ!」
大西:前回のトークショーにご登壇いただいた大篠充能さんはリクルートの総務部出身で、「いい人材を採用することと、その人材のモチベーションを高めることへの投資を惜しまないのがリクルート」とおっしゃっていました。リクルートは、笹本さんもにも随分と投資していますよね。
笹本:このトークショーの5回目に登壇される村井さん(注:元Jリーグチェアマンの村井満氏)のおかげです。彼が人事部長だった1993年、ニューヨーク大学に留学させてもらいました。
あの頃のリクルートは1兆8000億円の有利子負債を抱えていて、毎年1000億円を返済しなくてはならない状況でしたが、留学制度は残っていました。僕が書いた「リクルートを救うための方法を学んできたい」という生意気な論文を認めてくれたのが村井さんでした。
会社は留学費用を負担してくれただけでなく、有給扱いだったので毎月給料をもらっていました。おまけに治安の良くないニューヨークだったので「セキュリティー上の理由」ということでブロードウェーのど真ん中にある、ドアマン付きのマンションに住まわせてもらいました。今も村井さんには足を向けて寝られません。
大西:米国に行ったタイミングも良かったですね。
笹本:はい。ゴア副大統領が「情報スーパーハイウェイ構想」をぶち上げて、インターネット産業が爆発する寸前でした。「これはすごいことが始まる」という雰囲気を肌で感じることができました。
河野さん(注:当時リクルート専務、1997年から2004年まで社長)が出張してきたとき、インターネットがいかにすごいかを口角泡を飛ばして説明したのですが、どうにも伝わらない。最後には「このまま紙の情報誌をやっていたらリクルートは潰れますよ!」と啖呵を切りました。
帰国すると毎週、河野さんとランチをしながら、ネットのご説明をすることになるのですが、河野さんは「それってキャプテン(注:キャプテンシステム=1980年代にNTTが開発した付加価値情報サービス)みたいなものでしょ」とか「ダイヤルQ2(注:1989年にNTTが始めた電話による情報料代理徴収サービス)みたいな、いかがわしいヤツは嫌い」とか言って、なかなか分かってくれませんでした。
大西:それでもリクルートは1995年に電子メディア事業部を立ち上げ、笹本さんは設立メンバーに選ばれましたよね。
笹本:なんかやらなきゃいけないと思ったんでしょうね。メンバーは、この後トークショーにも出られる高橋さん(注:高橋理人氏=2007年から2016年まで楽天の常務で楽天市場の責任者)と僕を含めて6人で、与えられたパソコンは1台。電話も1台でした。
インターネットでどうやってビジネスをするか、6人で色々考えました。「ネットでコードを送ったらファックスが届くってのはどうだろう」「それじゃあ、ネットサービスじゃないだろ」と。当時のネットは伝送速度が遅かったので、画像がカッ、カッ、カッとゆっくりしか出てこない。ファックスの方が早かったんです。