MTVを立て直したリクルート流の仕事の進め方
大西:1999年にリクルートを退社して起業されたのは予定通りですか?
笹本:「いつかは起業する」と考えていましたから、そうですね。最初は、屋台をやろうと思っていたんですよ。今で言う「キッチンカー」。でも、やはりどうせやるならネット関係のビジネスがいいと思い直して、レストランガイドを立ち上げました。今で言う「食べログ」ですね。僕の場合、だいたい、いつも早すぎるんです。
大西:立ち上げの最中にMTVから話が来るわけですね。
笹本:実はMTVが日本に進出する時、リクルートや電通と話し合いをしていて、僕もリクルート側のメンバーにいたんです。それで日本のCOO(最高執行責任者)を探していたMTVが、「あの時リクルートにいた笹本ってやつがいいんじゃないか」という話になったみたいです。
大西:MTVジャパンのCOOって外から見ると華やかですが、実は結構なリスクがありましたよね。
笹本:僕は行くまで9年連続で赤字でしたから。日本ではパイオニアが大株主だったので「赤字でも支えてもらえるから大丈夫」という雰囲気がありました。
最初の1年は苦戦して「流石にこれはダメか」とも思ったのですが、リクルート時代の先輩に相談したところ「お前は今、砂漠で井戸を掘ってるんだ。あとひと掘り、ふた掘りで水が出るかもしれないのに、ここで止めるのか」と諭され、「そうだよな」と思い直して頑張りました。
僕の仕事の進め方は「最初の90日でここまで」「次の90日でここまで」と、ヒト、モノ、カネのフレームワークを作って数字を積み上げていくリクルート流なので、MTVの人たちには「鬼みたいな奴が来た」と思われたと思います。社員に当事者意識を持たせることで、2年で黒字にでき、COOから社長になりました。
大西:そしてマイクロソフトへ。
笹本:はいMTVには6年間いたんですが、マイクロソフトから「MSN(注:同社のポータルサイト)やBing(注:同社の検索エンジン)といったネットサービスの責任者をやってほしい」とオファーがあり、転職しました。パナソニックの樋口泰行さんが、マイクロソフトの社長になったのと同じタイミングです。
感性で仕事をするMTVとは真逆で、マイクロソフトはすべてを数字で説明するロジックの会社でした。
世界各国から30人ほどの幹部を集めた「マイクロソフトの未来を考える会」にも呼ばれました。「ビル・ゲイツと過ごす2泊4日の旅」で、缶詰になって徹底的に議論するのです。ビル・ゲイツはかなりぶっ飛んでいて、すべてをソフトウエアにできると考える宇宙人のような人でした。