
「経営者」の目線でJリーグを「稼げる組織」に変えた5代目Jリーグチェアマンの村井満さんは、経営者として低落傾向だったJリーグの改革に乗り出し、DAZNとの10年2100億円の独占放映権契約などを実現していった。コロナ禍などの逆風がある中、チェアマンとしてどのようにJリーグを活性化したのだろうか。
※このインタビューは『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートを作った男』文庫版(新潮社)の出版を記念して行われたトークショーをもとに作成した
「アウェイの戦いには慣れていた」
大西康之氏(以下、大西):リクルートを辞めた後、Jリーグのチェアマンになられた村井さんも、当初は相当なアウェイでしたよね。
村井満氏(以下、村井):チェアマンになると全国津々浦々のチームを回るじゃないですか。そのたびに「村井でございます」「どちらの村井さんですか?」「チェアマンの村井です」「ええ!」みたいな。
でも、アウェイの戦いには慣れている部分もあったんですよ。
先ほど言ったように、チェアマンになる前の直近3年間、僕は香港にいて、そこをベースに旅芸人のようにアジア26都市をぐるぐるとひとりで回っていましたから。海の向こうでは、リクルートなんて誰も知りません。「完全アウェイ」です。
そんな中で、香港にあるアジアトップの人材仲介会社のBó Lè(*)を買収することになるんです。700人くらいの会社に10人のゴムボート(リクルートの香港法人)で向かうような状況です。
*ボーレアソシエイツグループ。アジア8カ国・地域に18の拠点を置き、1200社の顧客基盤を持っていた。
向こうのトップのルイーザ・ウォンはアジア人材業界の女帝です。彼女は米ハーバードビジネススクールを卒業した後、モルガン・スタンレーに就職し、その後、ラッセル・レイノルズという大手エグゼクティブサーチ会社で経験を積んでからBó Lèを起業したという人物です。
ルイーザとどれだけご飯を食べて、ダンスをして夢を語り合ったことか。僕の英語なんて中学2年生以下のレベルなんですが、とにかくこちらには伝えたいことがありました。
「アジアの人材市場を米欧の大手にいつまでも握られているのは悔しい。アジア人によるアジア人のためのエグゼクティブ・サーチ(経営幹部のヘッドハンティング)を一緒にやろうよ」と必死に口説いたのです。
夢を一緒に語り合うところまで行ったのですが、最後にルイーザはこう言いました。
「私は分かったけど、ウチの幹部は納得していないから、あなたが説得して」と。それで幹部50人を集めて3泊の上海セッションをやりました。
