(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年3月19日付)

フロリダ州にあるトランプ大統領の邸宅マール・ア・ラーゴ(2022年8月10日撮影、写真:ロイター/アフロ)

 ドナルド・トランプの混沌とした貿易政策は混沌とした経済状況にしか至らない。

 では、もう少し一貫性があってダメージも小さく、それでいて大統領の保護主義的な目標にも適した施策をトランプ政権が偶然見つける可能性はないのだろうか。

 ひょっとしたら、あるかもしれない。

 財務長官のスコット・ベッセントや大統領経済諮問委員会(CEA)委員長のスティーブン・ミランなど一部の政権メンバーはそう思っている。

CEA委員長が唱えたグローバル通商システム

 この比較的高度なアプローチを理解しようというのであれば、ミランが2024年11月に発表した小論「グローバル通商システム再構築のためのユーザーズガイド」を読むべきだ。

 著者は「この小論は政策を唱道するものではない」と記している。

 だが、アヒルのように鳴けば、それはアヒルだ。CEA委員長という現在の立場を考えれば、これは政策を唱道する文書として読まれなければならない。

 ミランの議論は、ベルギー出身の経済学者ロバート・トリフィンが1960年代初めに唱えた説を下敷きにしている。

 トリフィンは、準備資産としての米ドルの需要の増加には米国の経常収支が赤字を続けることでしか応えられないと論じた。

 このことはドルが国際収支の均衡に必要な水準よりも継続的に過大評価されることを意味していた。

 そしてトリフィンは、このさえない貿易収支は時が経つにつれてドルと金(ゴールド)との固定交換レートに対する信認を損なうと指摘した。

 実際、その通りになった。

 1971年8月、米国大統領のリチャード・ニクソンはドル売りが殺到したことに対応し、ドルと金との交換停止に踏み切った。

 厳しい交渉を経てドルとその他主要通貨との新しい平価が決められたが、長くは続かなかった。

 為替レートを固定する(調整は可能)ブレトンウッズ体制は、こうして今日の変動相場制に取って代わられた。

 ミランはこの視座から現在の米国の苦境を観察している。

 そのため今日議論されていることは、1980年代のプラザ合意やルーブル合意よりも1960年代や1970年代に起きたことの方に似ていると見るべきだ。

 プラザ合意やルーブル合意はドルと他国の通貨、とりわけ日本円や旧西ドイツマルクとの間に不均衡が生じた時に変動相場制を管理することを目的としていた。

 いま提案されているのは、為替レート管理のグローバルなシステムを新たに作り直すことだ。