2月24日、ロシアの侵攻により、地下鉄の駅に避難したキエフ市民たち(写真:ロイター/アフロ)

 ウクライナの首都キエフで、地下鉄に乗ったことがある。取材で当地に滞在していた時のことだ。

 その駅で迷子になった。地下が深く、複雑に入り組んでいて、出口に向かっていたつもりが、どこを歩いているのかわからなくなり、気が付くとトンネルのようなアーチ型の低い天井の下を独りで歩いていて、急に不安になった記憶だ。それでも、人影を見つけてあとをついていくと、人混みの先に長いエスカレーターがあって、ようやく地上に出られた。そこは私が想像していた街の場所とはまったく違っていた。

中立条約を一方的に破棄し、日本人を絶望の淵に追いやった「ソ連の侵攻」

 ロシアによる侵攻がはじまって、キエフの市民が地下鉄の駅構内に避難している、という報道に接する度に、あの地下鉄なのか、と当時のことが頭の中に浮かび上がる。一部の報道では、地下鉄そのものが防空壕を兼ねている、と伝えているが、私が防空壕の役割もあると現地で直接聞いたのは、モスクワの地下鉄だった。

 モスクワの地下鉄も地下深いところにホームがあって、すでにソビエト連邦は崩壊していたが、上りエスカレーターを利用すれば正面の壁に描かれたレーニンの顔を見ることができた。

 ただ、モスクワの地下鉄を利用したほうが先だが、キエフの地下鉄はそれに似ていた。ソ連の時代のなごりなのだろうと勝手に想像していた。

 その地下鉄でロシアの侵略に怯える市民の姿。その映像を目の当たりにすると、もうひとつ別の街の風景が思い浮かぶ。

 中国吉林省の省都である長春だ。そこはかつて新京と呼ばれ、満州国の首都だった場所だ。市内には旧日本軍が建築した建物が残っていて、いまは共産党政府や人民解放軍が利用している。頑強な造りが重宝しているらしい。

 その街中を行くと、同行した現地の通訳が、「あそこで日本人が自殺した」「あそこでも集団自決した」と指をさして教えてくれた。そこには満洲時代に日本人の居住区や長屋があって、終戦間際の突然のソ連軍の侵攻によって、日本の民間人が自死を選んだ場所だった。満洲からの引き上げの逸話は多多あるが、その当時の日本人を襲った恐怖は、地下鉄駅構内に避難しているウクライナの市民の表情から推察して余りある。呼び方こそ違っても、どちらもロシアが仕掛けたことだ。