(2)ライシャワー発言

 1981年5月17日、ライシャワー元駐日大使(任期:1961年3月29日~1966年8月19日)が新聞社のインタビューの中で、

①核の「持ち込み」(introduction)とは、日本の領土内に核兵器を陸揚げし、あるいは貯蔵することを指している

②米艦船や航空機が日本領海・領空を通過すること(transit)は持ち込みとは全く別の問題であり、日本政府の政策に反するものではない。この点に関する日米両政府間の口頭了解が私の大使就任前にできている

③核搭載艦船(戦略ミサイル搭載原子力潜水艦を除く)の寄港は「持ち込み」に当たらない

④私の大使在任中に、大平正芳外務大臣に一度、口頭了解に基づいた見解を示すよう申し入れたことがある、などの発言を行った。

 これまで政府は、核持ち込みは事前協議の対象であるが、米国から事前協議がない以上、核の持ち込みはなく、そのことについて米国を信頼するとの立場を貫いてきた。

 しかし、ライシャワー発言は、核搭載艦船の寄港という形で核持ち込みが日常的に行われていた疑念を生じさせるとともに、「持ち込ませず」の虚構性が浮き彫りとなった。

 こうした事態に対し、園田直外務大臣は、マイケル・マンスフィールド駐日大使と会談し、ラロック証言の際に表明された米政府の見解は、現在でも変わっていないことを確認した。

(3)村田良平元外務省事務次官の発言

 2009年6月29日付の毎日新聞に、「米核持ち込み 密約文書引き継ぐ 村田元次官『外相に説明』」との題で、1987年7月に外務省事務次官に就任した村田良平氏が、毎日新聞社の取材に対し、1960年の安保条約改定時に核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機が我が国に立ち寄ることを黙認するとしたいわゆる核持ち込み密約の存在を認め、前任次官から文書で引き継ぎを受けていた旨答えた記事が掲載された。

 以上のように、核密約問題がたびたび報じられても、政府は、密約は存在しない、日米間の合意は、1960年の岸・ハーター交換公文および藤山・マッカーサー口頭了解がすべてである、との見解を繰り返し述べ、上記の村田元次官の発言の際も、中曽根弘文外務大臣は、同様の見解を述べた後、元次官に確認する必要はないと答弁した。

「岸・ハーター交換公文」は、当時の総理と国務長官による交換公文で、米軍が日本の基地を使用するに当たり、在日米軍の「配置における重要な変更」「装備における重要な変更」「わが国から行われる戦闘作戦行動」の3項目のいずれかに該当する場合、事前に日本側と協議することを定めている。

「藤山・マッカーサー口頭了解」は、それらの具体例を挙げており、「装備における重要な変更」に該当するものとして、核弾頭及び中・長距離ミサイルの持ち込み並びにそれらの基地の建設を挙げている。

 また、上記の核密約のほか、沖縄返還交渉時(1969年)に、「有事の際の核再持ち込み」を認める密約が、日米首脳間で交わされていたことを、沖縄返還の交渉時に、佐藤栄作首相の密使として米国政府と交渉にあたった若泉敬元京都産業大学教授が1994年に刊行した著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)の中で、また、ヘンリー・キッシンジャー元大統領特別補佐官が回顧録の中でそれぞれ密約の存在を明らかにしている。