ウクライナ東部ドネツク州のロシア系住民との紛争地域の塹壕内で外を監視するウクライナ兵士(1月20日撮影、写真:AP/アフロ)

 ロシアは、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を自国の安全保障上の脅威と見なし、NATO加盟を目指す隣国ウクライナとの国境付近に10万人規模の軍部隊を集結させ、軍事的圧力をかけている。

 欧米が部隊撤収を再三求めているが、ロシアはNATO不拡大の法的保証を要求し、対立が続いている。

 そうした中、1月10日には米国、12日にはNATO、13日には欧州安全保障協力機構(OSCE)とロシアとの協議が行われたが、緊張緩和を促す米欧に対し、ロシアはNATOの東方不拡大を求めて強硬姿勢を崩さず、議論は平行線に終始した。

 ロシア側は近日中の再協議はないと表明しており、軍事衝突のリスクをはらみながら緊張が継続している。

 さて、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、ワルシャワ条約機構(WPO)の解体が遠からず予想された1989年末の欧州には、共通の敵がいる限り同盟は存続するという国際政治の一般原則を根拠に、共通の敵のいなくなったNATOはまもなく解体するであろうと予想した専門家が少なからずいた。

 しかし、現在に至ってもNATOは存続し欧州の安全保障の要として重要な役割を果たしている。

 しかも、加盟国の数は旧WPO加盟国であった中・東欧諸国やバルカン諸国が加盟し冷戦終結時の16か国から30カ国と増加した。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、冷戦が終結してドイツが統一されるに際し、東西陣営間で「NATOは東方に拡大しない」という約束があったが反故にされたと主張する。

 口約束だったのか、文書による約束だったのかについてプーチン大統領は言及していない。

 当時、NATOにとって、ドイツ統一が最優先事項であったのでNATOはソ連に譲歩してもドイツ統一を達成したかったという事情と、当時NATOは東方拡大に積極的でなかったということを考慮すると、口約束くらいはあったのではないかと筆者は見ている。

 では、なぜロシアは、NATOの東方不拡大の法的保証を求めるのか。

 昨年(2021)12月24日、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はボスニア・ヘルツェゴビナ紙のインタビューで、NATOの東方拡大が欧州での紛争につながるリスクがあると指摘した。

 ラブロフ氏は、ウクライナがNATOに加盟し、NATOのミサイル攻撃システムがロシア国境に近いウクライナ領内に配置されることはロシアの安全保障上受け入れられないとして「欧州での大規模な紛争に至るほどの、深刻な軍事的リスクをすべての関係者(国)に引き起こすものだ」と厳しく指摘した。

 すなわち、ロシアはWPOが消滅して中・東欧の同盟国を失い、そのうえ旧ソ連共和国であったウクライナがNATOに加盟することになれば、今度はロシア西部の緩衝地帯を失うことになるのである。

 緩衝地帯は軍事戦略上きわめて重要である。

 日本もかつて、朝鮮半島をロシアの南下を防ぐ緩衝地帯と考えていた歴史がある。それが日清・日露戦争に繋がったという見方もある。

 本稿の主旨は、ウクライナ危機の根底にあるNATOの東方拡大を今一度振り返ることにある。

 以下、初めにNATOの東方拡大の軌跡について述べ、次にウクライナのNATO加盟問題について述べ、最後にプーチン大統領の欧米への不信について述べる。