(舛添 要一:国際政治学者)
ウクライナ情勢が緊迫化している。ロシアは国境地帯に10万人規模の軍隊を展開し、演習を繰り返している。命令が下れば、直ちに国境を突破し、ウクライナに進撃する用意が整っている。
首都キエフからの情報によれば、ウクライナに在るロシア大使館や領事館から外交官やその家族たちがバスで脱出し、モスクワに向かっているという。キエフ・モスクワ間の距離は直線距離で約760kmであり、これは東京から山口県への距離とほぼ同じである。10数時間のバスの旅でキエフからモスクワに到着する。
この距離のことを常に念頭に置いておかないと、安全保障の議論ができなくなる。プーチン大統領が、ウクライナにNATOのミサイルが配備されるのを極度に警戒しているのは、短時間でモスクワに到達するからである。マッハ1は、気温や気圧によっても変化するが、1気圧、湿度0%、気温15℃で時速1224kmである。マッハ5以上の超音速ミサイルなら、数分間でモスクワを攻撃できる。迎撃が間に合わない可能性が高く、ロシアが懸念するのは理解できる。
今も「強いロシア」を追求するプーチン
ロシアの歴史を振り返ると、それは領土拡張の歴史であった。西はポーランド、フィンランドなどのヨーロッパ側へ、南はカザフスタン、キルギスなど中央アジアへ、東はシベリアへといった具合である。ロマノフ王朝の下で拡大したロシア帝国は、1917年のロシア革命を経て、ソビエト連邦へと継承された。
ところが、ベルリンの壁の崩壊で東西冷戦が終わり、30年前に15の共和国から成るソビエト連邦は崩壊し、それぞれが独立国家となった。東西ドイツ統一の前にKGBに勤務していたプーチンは、この混乱の過程で白タクの運転手をして糊口を凌いだと述懐している。