その後、プーチンはレニングラードのサブチャーク市長の側近となり、政界入りする。さらにモスクワの大統領府に移り、エリツィンに見出されて、後継者として育てられる。こうして2000年に大統領に就任したプーチンは、自らの政権の目標として「強いロシア」の再建を掲げたのである。

 アメリカで、レーガン大統領(任期1981〜89年)が「強いアメリカの復活」を、トランプ大統領が「アメリカを再び偉大にしよう」というスローガンを唱えたのと同じである。

ウクライナのNATO加盟が実現すればロシアにとっては致命的

 ベルリンの壁の崩壊とともに、モスクワの支配下にあった東欧諸国で民主革命が起こり、旧ソ連圏(ソ連・東欧)の安全保障組織、ワルシャワ機構軍は、ソ連邦が解体する5カ月前の1991年7月に解散した。しかも、旧加盟国が、次々と敵陣のNATOに参加していった。1999年3月にチェコ、ハンガリー、ポーランドが、2004年3月にエストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアが、2009年4月にアルバニア、クロアチアが、2017年6月にモンテネグロが、そして2020年3月には北マケドニアが加盟した。

 プーチンにしてみれば、忠実なソ連の衛星国だった国々が英米など西側諸国と手を握って、ロシア包囲網を形成するという許しがたい事態が生まれたのである。

 今や、ベラルーシとウクライナだけがNATOとロシアを隔てる緩衝国として存在するという状況であり、この二大緩衝国だけは敵陣に追いやりたくないというのがプーチンの願いなのである。

NATO加盟国(User:Patrickneil, based off of Image:EU1976-1995.svg by glentamara, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
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 幸い、ベラルーシのルカシェンコ大統領は、時には反ロシア的行動を見せるが、基本的には親ロシアである。ところが、独立したウクライナでは、親欧米派と親露派の対立が続き、親露派のヤヌコーヴィッチ政権が崩壊すると、ロシアは軍事力によってクリミア半島を奪い、ロシアに併合した。2019年に大統領に就任したゼレンスキーは、クリミア半島の奪還を掲げ、NATO加盟を模索している。