アメリカの基礎を築いたアイリッシュ
ここでアメリカに渡ったアイルランド人について少し説明しておきましょう。
アイルランドから新世界に移住する人も多く現れました。新世界への移民の流れは、早くも17世紀後半にははじまっていました。
といっても、当初の移民の主流はスコットランドから北アイルランドに移住していた長老派の信者が、イングランドによる差別的扱いに反発し、新世界に新天地を求めた人々がかなりの部分を占めていたようで、こちらは「スコッチ・アイリッシュ」と呼ばれます。
彼らは、もともとイングランドによる植民地支配に苦しめられ、反乱を起こしていた人たちでしたので、アメリカがイギリスからの独立を勝ち取る戦争を始めると、これに積極的に協力しました。ある推定によれば、イギリス軍と戦った植民地軍におけるアイルランド系の比率は35~66%もあったと言います。つまりアイルランド人はアメリカの独立に相当大きな貢献をしたと言えるのです。なお、そのほとんどは「スコッチ・アイリッシュ」の長老派の信徒で、カトリックのアイルランド人はごく少数だったようです。
アイルランドにもともと住んでいたカトリック教徒が移民としてアメリカにやってくるのは、アイルランドで「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大飢饉(1845~1849年)が起こって以降です。
アイルランドでは穀物はイングランドへの輸出に回され、農民たちはジャガイモを主食としていました。ところが1845年にそのジャガイモに疫病が流行し、大凶作となってしまったのです。人々は食料に事欠き、大飢饉に直面しました。このとき、貧しい農民たちが新天地を求め、短期間のうちに大量に国外に移住していったのです。主な目的地はアメリカでした。
1840年代初頭、アイルランドの人口は800万人を超えていました。それがジャガイモ飢饉による死亡と大量の移民により、一気に人口は減少しました。1840年代、アイルランドを脱出した人々の数は100万人とも120万人とも言われています。
現在のアイルランドの人口は約500万人、北アイルランドが約190万人で、合計しても1840年代初頭の人口に遠く及ばないのですから、いかに当時の食料事情が危機的状況だったのかがお分かりいただけるでしょう。
パレスチナの地を追われたユダヤ人が世界中に散り散りになったことを「ディアスポラ」と言いますが、この大飢饉をきっかけに海を渡ったアイルランドの人々の行動もまさにディアスポラと呼ぶに相応しい苦難でした。
アメリカに渡ったカトリックの移民は、主に北東部の都市で、下層労働者として糊口をしのぐような生活を強いられました。彼らは警察官や消防士など肉体を酷使するような職業にも積極的についていくようになります。そうしていくうちに、カトリックのアイルランド移民は、このような労働者階級や現業系の公務員で存在感を持つようになってきます。そしてやがて選挙権を持つようになった彼らは、熱心な民主党支持者となっていくのでした。
こうしてアイルランド系移民は政治の世界で大きな発言力を持つようになります。そして彼らのコミュニティは、ついには大統領さえ輩出するほどになりました。プロテスタントが多数を占めるアメリカでは、かつては「カトリックは大統領になれない」と言われてきました。その不文律を初めて破って大統領になったのがジョン・F・ケネディです。ケネディの曽祖父はアイルランドからアメリカに移り住んだカトリック信者でした。
現大統領のジョー・バイデンもアイルランド系のカトリックです。このように、現代アメリカの政界においてアイルランド移民の子孫たちは、極めて大きな発言力を持つまでになっているのです。