ヨーロッパの経済成長に貢献した「アイリッシュ・コネクション」

 話を戻しましょう。

 カトリックの国を中心としながら世界中に散らばったアイルランド人は、互いに結びつき、広範な商業ネットワークを築き上げました。そうした中で、世界的にも有力な商家も生まれてきました。例えばリンチ家です。

 18世紀、アイルランドの著名な商家であるリンチ家の商業ネットワークは、ロンドンから大西洋を越え、西インド諸島、さらにはニューヨークにまで広がっていました。彼らは、ナントとボルドーからワインとブランデーを輸入し、それらをフランドル地方のヘント(ガン)やブリュージュの顧客に販売するなどしていました。

 この「アイリッシュ・コネクション」で潤ったのはアイルランド人だけではありません。当然ながら、彼らが移り住んだ地域の経済発展にも大きく寄与しました。

 1650〜1750年において、アイリッシュ・コネクションは、特にオーステンデとブリュージュの経済成長に対してポジティブな影響を及ぼしました。1700〜1730年頃のフランドル地方にアイルランド商人が定住し、彼らがオーステンデの国際貿易で欠くことができない大きな役割を演じたのです。

 イングランドによるアイルランド支配は過酷なものでした。またそこに大飢饉という不幸も襲ってきました。当時のアイルランドの人々は大変な苦労を強いられましたが、その逆境を乗り越えるために決死の思いで国外に活路を求めた人々によって、稀有な商業ネットワークが形成されました。これはヨーロッパ全体の経済成長に大きく貢献しました。

 クロムウェルによる宗教弾圧の時代、そしてジャガイモの不作による大飢饉の時代、それぞれの時代にアイルランドを飛び出した人々は、大きなリスクを背負っていました。劣悪な環境での船旅によって、目的地にたどり着く前に命を落としたり、移住先での過酷な生活から這い上がれないまま生涯を閉じたりという人も相当な数になったはずです。

 それでも生命をかけて新天地に移住し、そこで創造的なネットワークを築いて商売を成功させたり、移住先で政治家や実業家として大成したりした人々も数えきれないほど生まれました。そうした成功体験が国民の中にあるからこそ、2000年代に経済破綻を経験しながら、その後タックスヘイブンとして再浮上に成功するような、逞しさと自信をこの国は備えるようになったのではないでしょうか。