グレートブリテン島に侵攻したゲルマン人、アイルランドには手を出さず
その後衰退したローマ帝国は、409年にブリタニアを放棄しますが、それに代わるようにグレートブリテン島に侵入してきたのがゲルマン人でした。ローマ帝国の属州だった時期にキリスト教化が進められていましたが、その後のローマの撤退、ゲルマン人の侵入といった混乱が続いた時代に、グレートブリテン島のキリスト教化は停滞します。
それとは対照的に、ゲルマン人の侵攻がなかったアイルランドでは急速にキリスト教化が進んでいました。5世紀に、スコットランドの大司教で宣教師の聖パトリックがアイルランドで熱心に布教活動を行っています。彼はアイルランドの土着信仰にも寛容な態度を示したため、キリスト教はアイルランドに急速に浸透したのでした。
アイルランドのキリスト教は、教会よりも修道院が主導するという少し珍しい形態をとっていました。修道院は、世俗を離れ、厳しい戒律の下に禁欲的生活を送る修行の場です。アイルランドの修道士は、ヨーロッパ大陸の修道士たちよりも、厳しい修行に身をさらしていたようです。そのため後年、アイルランドの修道士たちは、ヨーロッパ各地での布教活動の中心的役割を担うほどになりました。こうしてアイルランドは厳格なカトリックの国になっていったのです。
ヴァイキング襲来
9~10世紀になると、北方のスカンディナヴィア半島から、高い造船技術と航海術を持つヴァイキング(北方系ゲルマン人)がヨーロッパ各地に襲来するようになります。アイルランドはこの襲来を撃退しますが、ヨーロッパ大陸にも侵攻したヴァイキングの中には、フランス北西部のノルマンディーに定住した人々がいました。彼らは10世紀初頭には、その地でノルマンディー公国を形成します。
一方、海峡の対岸にあるイングランドでは、1066年、亡くなったエドワード懺悔王の後継者争いが勃発しました。そこにノルマンディー公のギョーム2世が、王位継承権を主張、グレートブリテン島に侵攻し、勝利を収めます。ギョーム2世はイングランド王ウィリアム1世としてノルマン朝を開きました。こうしてイングランドは、アングロ・サクソン人の王朝からノルマン人の王朝の国になったのでした。これがいわゆる「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン征服)です。