ノルマン朝、アイルランドに侵攻
イングランドを征服したノルマン人は、今度はアイルランドにも目を向けるようになりました。12世紀、プランタジネット朝の祖となったヘンリー2世(在位:1154-1189年)はアイルランドに侵攻します。当時すでにイングランドやウェールズの貴族が新天地を求めてアイルランドに乗り込んできていましたが、ヘンリー2世は貴族たちを抑え、アイルランドにイングランドの実質的な宗主権を認めさせ、自らアイルランド卿を名乗るようになります。これが、イングランドによる長いアイルランド支配の始まりでした。
それでも当初は、イングランドにとっては、アイルランド経営よりもフランスとの争いなどのほうが重要だったため、その支配は苛烈なものではなかったようです。
その状況は、イングランドの王朝がテューダー朝になると一変します。
イングランドは、テューダー朝の第二代国王ヘンリー8世(在位:1509-1547年)の時代に、彼の離婚問題をきっかけにカトリック教会から破門され、イングランド国教会を成立させることになります。これがイングランドの宗教改革になります。またスコットランドはカルヴァン派の長老派教会の国となりました。これに対し、アイルランドは従来からのカトリックを貫きました。国教会と長老派、そしてカトリックの信徒が、イングランドが支配する地域内に混在するという状況は、大きな軋轢の原因になりました。
そうした状況下で、ヘンリー8世はアイルランド支配を強化しました。「アイルランド国王」を初めて名乗り、アイルランドでも宗教改革に乗り出し、カトリックを弾圧し始めます。またアイルランド北部では、スコットランドから長老派の人々の植民が続々と行われました。こうして、アイルランドにもともと住んでいたカトリックの人々はどんどん圧迫されていったのでした。
そうなると当然ですが、カトリック教徒はイングランドに対する反発を強めていきます。そのためヘンリー8世の娘エリザベス1世(在位:1558-1603年)の時代のイングランドは、アイルランドのアルスター地方やマンスター地方で起こった反乱を鎮圧するために、多大な軍事的エネルギーと財政負担を強いられ、王室の財政状況が逼迫する有様でした。ですから、なんとか反乱を鎮圧した地域にはイングランドやスコットランドから大規模な植民が行われ、「アイルランドのイギリス化」が強力に推し進められたのです。