貝は植物ではないが
この中には、ハマグリ、イタボガキ、オオツタノハという貝類が含まれている。これについて、われわれはどのように考えるべきなのだろうか。
椎塚土偶の解読から私が気づかされたことは、そもそも「植物」とか「貝類」といった観念は現代人の認知カテゴリーに過ぎないということである。たとえば縄文人が動物を見て「これは哺乳類」とか「これは爬虫類」といった分類をしたわけもなく、かれらはわれわれには未知の、独自の分類体系によって生物種を認知していたはずである。したがって、そもそも「植物」というわれわれの認知カテゴリーをそのまま縄文人に当てはめようとすること自体が不適切だったのである。
そこから私が直感したのは、ひょっとして縄文人は貝類と堅果類を近似したカテゴリーとして認知していたのではないか、ということである。
そもそも「ハマグリ」の語源は「浜に落ちている栗」、つまり「浜栗」だったのだ! 貝類と堅果類との認知的な近接性は、日本語の中にもはっきりと示されていた。
こうした事実を考慮すれば、縄文人も貝類と堅果類とを近接するカテゴリーに分類し(あるいは両者を包含する認知カテゴリーが存在し)、どちらの精霊も土偶祭祀の対象になっていたと考えても不自然ではないだろう。海は水のある森であり、森は水のない海なのである。
そういうわけで、椎塚土偶の解読を経て、私は自らの仮説を修正することになった。すなわちそれは、「土偶は食用植物および貝類をかたどったフィギュアである」というように拡張されたのである。