イベントで話す乃至政彦氏。(写真:日野空斗)

歴史家・乃至政彦氏の新著『謙信越山』が版を重ね話題を呼んでいる。あいまいに指摘されていた「上杉謙信」像を一次史料から掘り下げることで、その誤解や知られざる一面が見えてきた。

同じようなことは、他の多くの歴史上の人物にも言える。たとえば、戦国武将。戦う彼らの姿には、明らかに異なる事実がある。

『謙信越山』重版記念トークイベントの内容の一部より紹介する(第2回/全3回)

歴戦の勇士が持つ長い旗

前編:衝撃の真実、戦国の「武士」は誰? 戦う姿は?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64973

 さて、侍が自分の手柄を示すために背負っている旗を指物(さしもの)と呼ぶとお話ししました。続けて、戦国時代に見られる旗を大まかに分けた三つのうち残り二つの解説をしていきたいと思います。

戦国時代の軍隊や武将に対して持たれるイメージ。4月12日「謙信越山」重版記念トークイベントより、乃至政彦氏記す。

 イラストの左から三つ目の旗を小旗(こはた)と呼びます。5、6mくらいあるかなり大きな旗で、これを携えるのも侍です。長篠合戦図屏風を見ると、こういった格好をした侍が何人も横並びでいます。見るからに重そうです。

 長い旗を背中に指して、先端に付いた紐を手に持っている。片手が塞がっていますから、槍も持てない。江戸時代の資料にあるんですが、小旗を背負う仕事は歴戦の勇士がやることだと。

 私の想像ですが、名前が売れていて、実戦の経験があるけど、ケガをしたとか派手な戦いができなくなった方々がやっていたんじゃないかと考えています。

 ではこの人たちは、何のために大きな旗を背負って合戦に臨んでいたのかというと、軍隊の目印としていたわけです。