椎塚土偶(左、所蔵:大阪歴史博物館)と星形土偶(右、所蔵:辰馬考古資料館)

 縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。前編では、「土偶は植物の精霊をかたどったものである」という結論に至った過程を紹介した。後編ではいよいよ具体的な土偶の解読に取りかかる。(JBpress)

前編
日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65038

土偶(どぐう)とは:縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。

(※)本稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人著、晶文社)より一部抜粋・再編集したものです。

 私が直感していたことは、「土偶と植物とは関係がありそうだ」という抽象的なレベルの話ではない。もっと直接的で、具体的な仮説が私の頭の中を駆け巡っていた。それは、「土偶は当時の縄文人が食べていた植物をかたどったフィギュアである」というものだ。

 土偶の姿が「いびつ」なものに見えるのは、勝手に私たちが土偶=人体像であると思い込んでいるからではないのか。いびつなのは土偶のかたちではなく、われわれの認知の方なのではないか。ヴィジョンを獲得した日以来、私の目には、遮光器土偶はある根茎植物をかたどった精霊像にしか見えなくなっていた。そして私は、土偶には様式ごとに異なるモチーフが存在し、そのモチーフはすべて植物なのではないかと考えるようになっていた。

ハート形土偶の造形的特徴とは

 最初に私にその姿を開示したのは、これまで「ハート形土偶」と呼ばれてきた土偶である(図1)。

図1 群馬県吾妻郡東吾妻町郷原で出土したハート形土偶(所蔵:東京国立博物館)

 土偶は「食用植物をかたどっている」というのが私の仮説である。したがって、私の仮説によれば、このハート形の頭をした土偶も何らかの植物をかたどっているということになる。そこで私は、とりあえず「ハート形土偶」の造形について細かく分析してみることにした。