ハート形土偶が本格的に製作されたのは縄文後期からで、とりわけ後期初頭にその数が一気に増加したといわれている。また、ハート形土偶は東北地方南部から関東地方北部にかけて多く見つかり、分布の中心は福島県の阿武隈(あぶくま)山地である。
図4は、縄文後期の福島県域における遺跡分布図をもとに私が作製した地図で、ハート形土偶の出土した遺跡が丸でプロットしてある。ご覧のように丸は阿武隈山地と会津盆地に集中しており、この地域からハート形土偶が多出している状況がよくわかる。
私もさっそく現地でフィールド調査を行ったが、ハート形土偶が多く見つかっている三春町の周辺には阿武隈川の支流である大滝根川をはじめ多くの沢筋が存在しており、オニグルミの生育に好適な環境が広がっていることが確認できた(渓畔林には実際にオニグルミが多数自生していた)。
オニグルミが食料とされていたことは確実
これらは現在の福島県域の状況であるが、古環境学的にもハート形土偶が多く造られた縄文後期と現代の自然環境は大きく異なるものではなかったことがわかっている。たとえば縄文後期、阿武隈山地周辺にオニグルミが繁茂する植物相があったことは花粉分析からもすでに明らかになっている。
ハート形土偶が集中的に出土する阿武隈川の上流域の遺跡に注目すると、柴原A遺跡の土坑(中期中葉)からオニグルミ核果が見つかっているほか、高木遺跡の土坑からオニグルミの炭化種実遺体(中期後葉)が、一斗内遺跡の泥土から大量のオニグルミ核果(後期後葉)が、そして仲平遺跡からは土坑から268個、自然流路から112個のオニグルミ核果(ともに晩期)が発見されており、少なくとも中期以降の阿武隈川上流域において、オニグルミが食料資源として広く利用されていたことは確実である。
こうなると、ハート形土偶とオニグルミの見た目の類似を単なる偶然として無視することはもはや適当ではない。少なくとも、ハート形土偶がオニグルミをかたどって製作された可能性について、まじめに考察するだけの価値があると主張することは許されるだろう。