「朝起きたら冷たくなっていた」
2014年3月。
久し振りに佐藤さんを訪ね、ヒサノさんが亡くなった事を知った。
「朝起きたら冷たくなっていた。もうダメだった。今は一人だ」
祭壇からヒサノさんの写真が見下ろしていた。
あの夏、縁側に座って佐藤さんの農作業を飽きもせずに眺めていたヒサノさんの姿。向かい合って炬燵に入っていた二人の姿。
ヒサノさんは長年住み慣れた我が家で、ろうそくの光が、消えるように人生を全うした。佐藤さんは、独りになってもこの村を離れる気持ちは無いという。
土の匂いが家族の思い出を運んで来る。あの日、佐藤さん宅の縁側の陽だまりは、確かにふる里という温もりを運んで来た。
あれから10年。原発事故後の取材では様々の場所で多くの人々に出会った。仮設住宅での避難生活、除染作業の現場、原発廃絶を訴える集会、風評被害、等。
ここで紹介した断景は、そのほんの一部だ。
今も「帰宅困難区域」は残っている。一方で、避難解除されても色々な事情で帰れない人もいる。帰る気持ちが薄れたと言う人もいた。
復興という言葉の裏で、それぞれの「あれから10年」が過ぎていった。