2011年の東日本大震災。福島県は地震と津波、そして原発事故に見舞われた。震災直後から被災地入りしたフォトグラファーの橋本昇氏は、その後も福島県の各地に通い続け、人々の声に耳を傾け、その表情を写真に収めてきた。
震災から10年を迎えた今、この間、福島の人々はどのような感情をいだき、どのような決断をしてきたのか。橋本氏が自身の写真と文章で振り返る。(JBpress編集部)
2011年7月 大熊町
(フォトグラファー:橋本 昇)
車の前を3、4頭の黒牛が走り抜けた。原発事故による避難で牛舎から解放され、この数カ月の間好き勝手に野山を動き回った牛たちは、体中の筋肉が引き締まり、まるでバッファローのように逞しい。
原発事故から4カ月、車窓から見える光景は季節が移っていた。森の木々は眩しいばかりの緑に変わっている。ただ、町にも森にも人はいない。
海岸部には、津波で壊れた建物が手付かずのまま風雨に晒されていた。そこに花や果物を供えた簡素な祭壇が設けられた。津波の犠牲となって亡くなった12人の合同慰霊祭がこれから始まる。参加者は50人程、足先からすっぽり覆う防護服に身を固め、頭にヘアーキャップ、顔にはマスク、手にはゴム手袋という姿だ。
全員で黙祷。僧侶の読経が海風に流れていった。
一人の女性が海岸線をしばらくじっと見つめたていた。そして、少し歩いた先の野草の中に花束をそっと置いた。
「亡くなった方々は今の姿を天国からどう見ているんでしょう。実家の仏壇に線香を供えることもできず、墓参りもできず、きっと寂しいでしょう。原発事故を恨みます」
女性の目から頬に涙が流れ落ちた。