震災、津波、そして原発事故による緊急避難という当時の緊迫した様子も目に飛び込んできた。倒れた家具やテレビ、飛び出したタンスの引き出し、床に落ちた壁の絵や時計。山崎さんは、ただじっと部屋の様子を見ていた。閉め切ったままの部屋の空気はカビと埃の臭いで澱んでいた。

「もう、二階には上がらなくても・・・・」

 山崎さんの中で、この家は二年前のあの日以来、時を止めたのだ。

 無人となった他の家も同じだろう。町全体が時を止めている。

 庭の隅の犬小屋に、愛犬の朽ち果てた骨がそのままに残っていた。

「一緒に連れて行ってあげられれば・・・」

 それまで何を見ても覚悟はしているという様に淡々としていた山崎さんが、胸の奥から絞りだした言葉だった。

2013年6月 福島第一原発

 福島県楢葉町にあるJヴィレッジは当時、原発事故の収束作業に関わるスタッフの中継基地になっていた。作業員たちはここで防護服に着替えてバスで30キロ離れた第一原発へと向かう。

 2013年6月、原発建屋の代表取材許可が下り、Jヴィレッジに入った。

 職員の手を借りながら防護服を着る。靴下、ゴム手袋は三枚重ね、靴もビニールで完全に覆う。持ち込むカメラもストラップの先までビニールでぐるぐる巻きにする。これで大気に晒される所は無い。仕上げに防護マスクを被ると、そこに息苦しさが加わった。マスクの窓がうっすらと息で曇る。

 建屋ではこの格好で作業を続けているのか・・・。

2013年6月、福島第一原発。取材では水蒸気爆発で吹き飛んだ原子炉建屋のそばまで接近した(写真:橋本 昇)
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 バスに乗って原発の敷地に入り、免震棟で取材について説明を受ける。2階に上がる階段には全国から寄せられたのか、千羽鶴や小学生の絵。取材についての事細かな禁止事項が説明された。「勝手に動いてはいけない」「望遠レンズを使ってはいけない」「撮影は許可した角度で」

 もちろん人の顔を撮る気はないが、それ以外に何が機密なのか、素人にはさっぱり解からない。ともかく仰せに従って再びバスに乗り、建屋に向かった。