「死ぬまでここで婆さんと暮らす」——飯舘村に残った老夫婦

 2011年7月、住民の大半が避難で村を去った飯舘村に、農作業を続ける住民がいた。佐藤強さん(84・当時)との出会いだった。

 無人となった村の家々の庭先で、家屋を呑み込むような勢いで生い茂った「せいたかあわだち草」が盛んに穂先の黄色い花から花粉を飛ばし、蝉の鳴き声があちこちから降ってくる、そんな夏の日のことだ。佐藤さんはトラクターに跨って畑を耕していた。畑の隣りの自宅の縁側には夫の農作業を眺める妻ヒサノさんの姿があった。

「避難しないんですか?」

「いやー、ここがいい。何処へも行かず、ここで婆さんと死ぬまでいる」

再三の避難要請にも応じず、飯舘村の自宅に住み続ける佐藤強さん・ヒサノさん夫妻(写真:橋本 昇)
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 佐藤さんは、村役場からの再三の避難要請や、子供たちの「避難した方がいい」という声をすべてやんわりと断り続け、以前と変わらない暮らしを続けていた。それは「たかが原発事故くらいで逃げ出してたまるものか」というような肩肘を張った決心などではなく、佐藤さんのこの暮らしに対するぼんやりとした愛着の気持ちの表れだった。

 土の臭い、畦道に咲く小さな花々、虫たちの声、山の輝き――里山の織りなす季節の移り変わりと共にずっと暮してきのだ。このままでいい、という佐藤さんの想いに共感を覚えた。

「息子や娘が心配して毎週のように食べ物を持って来る。わしと婆さんだけではとても食いきれんほどカップラーメンがあるぞ。煙草も喉が痛くなるほどあるわ」

 そう言って佐藤さんは煙草をくゆらせながらハッハッと笑った。