生き残っても素直に喜べない
中心部と繋がる様々な通りに乗り上げた大型漁船が道を塞ぎ、釣り船が壊れた民家の屋根に乗っていた。
半壊した商店の前に、崩れた我が家を黙々と片づける中年女性がいた。
女性が「アルバムがあった!」と、一瞬嬉しそうに顔を崩した。そして作業の手を止めてアルバムをめくり始めてはじっと見入っている。泥を丁寧に前掛けで拭いて、一枚一枚じっと見入っている。
突然、女性が「この写真!」と言ってアルバムをこちらに向けた。娘さんの結婚写真だった。
「幸い娘夫婦も無事でした。でも亡くなったり、行方不明になっている方のご家族の事を思うと、自分たちだけ助かったからと喜んでいては申し訳なくて・・・」
両側に瓦礫の積まれた道を向こうから高齢夫婦が歩いて来た。遅れがちな奥さんをご主人が男性が立ち止まっては振り返り、追いつくのを待っている。
話をした。
「ふたり暮しなんだが、家を全部津波に持っていかれましてね。でも婆さんも私もこうして無事で、それはありがたいことなんだけど、これからどうやって生きて行こうかと考えるとねえ。国に迷惑をかけて世の中のお荷物になるのも辛いし」
高齢者から「迷惑」「お荷物」という言葉を聞くのが辛い。とにかく必死に命を守ったのだ。
「どんどん国に迷惑かけて生きて下さい。何の遠慮もいりませんよ」
そう返した。
3月の東北はまだまだ風が冷たい。取るのもとりあえず津波から逃げた人々は殆んどが着のみ着のままで避難生活をしていた。不自由で不安な生活だ。そんな状況の中、石巻で取材中に行き会った人々は、皆が「御苦労さまです」と声をかけてくれた。
ニュ―ヨークタイムズが「非常事態なのに他者への気遣いや礼節を守り続ける日本人」と震災のレポートで伝えたが、その通りだ。