瓦礫を眺めて目に浮かぶ懸命の救助活動

 津波は太平洋沿岸のいたるところで多くの人命を奪った。また、津波による原発の倒壊は福島県の多くの市町村の人々から住み慣れた土地を奪った。福島県南相馬市も津波の被害に加えて放射能汚染という新たな恐怖を抱えていた。

 南相馬市の老人福祉施設「ヨッシーランド」では、押し寄せた津波で避難途中のお年寄り36人が犠牲になった。

 現場に立った時、思わず感情がこみ上げてきた。あと数十メートルでも手前で津波が止まっていたら・・・。海岸から2キロのこの場所は津波の最終到達地点だった。道を挟んだ向かい側には津波の跡はない。

 施設の敷地には流木や瓦礫が流れ込んでいた。原発事故の影響を恐れ、犬が数匹うろつく以外に人の姿は無い。それがまた、ここを廃墟のように見せていた。

【東日本大震災】南相馬市の老人福祉施設。車いすや椅子、ベッドなどが泥にまみれて流されていた(写真:橋本 昇)
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 泥が堆積した建物の中には直前までの暮らしが散乱していた。ベッド、家具、紙おむつ、パジャマ・・・壁にお年寄りたちの描いた絵が残っていた。

 泥だらけで倒れている車椅子が目に入った。

 驚きと混乱の中で必死に命を助けようとした人々の様子が目に浮かんだ。そして、人々の無念が胸に迫ってきた。

 今、改めて大切な人を津波に奪われた人々の無念を想う。突然訪れた別れは受け入れざるを得ないとしても、無念という感情が心の中から消えることはないだろう。あの時からまもなく10年の月日が経つ。

【東日本大震災】南相馬市で行方不明者の捜索を行う警察官たち(写真:橋本 昇)
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