現地の人々には何が起きたのか、地震だとはわかってもどこまで被害が広がっているのか、何もわからない。震源地は淡路島だというが、被害は点と点を結ぶようにして広範囲に及んでいた。緊急車両が行き交い、空には災害ヘリや取材ヘリが飛び回っている。しかし、地上にいる人達には自分が見た範囲のことしかわからない。

 長田区で出会ったお父ちゃんの「命があるだけましやんか!」という言葉がすべてを集約していた。

張りつめた避難所の雰囲気

 須磨方面へ向かう途中にも激震に襲われた地区があった。一帯に火の手が上がったのだろうか、まだ何軒かの家から煙が出ていた。持ち出された家財道具が道に並んでいる。ありったけの防寒着をまとった少女が燻り続ける家の前に座っておにぎりを食べていた。

【阪神・淡路大震災】燻り続ける家の前でおにぎりをほおばる少女(写真:橋本 昇)
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 その先の中学校の体育館が地域の避難所だが、もう体育館の中は人でいっぱいで、ゆっくりと休む事などできないという。やっとおにぎりも届いたがその先のめどまでは誰にもわからない。

 体育館に行ってみると、やはり中は避難してきた人達がひしめいていた。方々からくしゃみや咳が聞こえてくる。この状況に苛立っている人も多かった。怒声が聞こえてきた。

「見せ物やないで!」

 振り向くと新聞社のカメラマンが怒鳴られていた。

【阪神・淡路大震災】避難先の学校の校庭で悲しみに暮れる女性(写真:橋本 昇)
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【阪神・淡路大震災】着の身着のまま非難してきて毛布にくるまり寒さをしのぐ高齢者(写真:橋本 昇)
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 校庭に設置された20台程の臨時電話には順番を待つ長い行列ができていた。

「今、中学の体育館にいるんやけど、心配せんでええけど、ここは寒いわ!」

 無事を知らせる電話の声も心なしか気が張っているように聞こえた。

 校庭の物陰にテントを張って避難している家族もいた。一家の父親のじっと空を仰いだ顔に胸を打たれたのを思い出す。

【阪神・淡路大震災】避難先の学校の校庭に張ったテント前で身を寄せ合うようにして過ごす一家(写真:橋本 昇)
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 家族を守る! その言葉の意味は重い。

「娘を地震に獲られてしもた・・・人間の命なんか、あっという間やな」

 一人の中年男性は娘の死をそう表現した。

 混乱と悲しみ。混乱と悲しみ、やり場のない怒り。家を失い、家族を失った誰もが心の中で、傷の落とし所を必死に見つけようとしていた。

【阪神・淡路大震災】今も煙を吐き出すマンションの前で被害状況を伝える新聞を読む人々(写真:橋本 昇)
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